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合掌 ありがとうございます

 随分と間があいてしまったので、要略させて戴いている内容ですみません。
本日は、今年も浅草寺の示現会でした。
三部経をあげさせて戴く時に、丁度浅草寺のライブカメラで、雷門から金龍さんが出て来られたところが見えました。
毎朝夕、浅草寺の観音様と金龍様にお茶をお供えさせて戴いてます。
多分この日に引っ越してきてから、2年になるのでしょうか、
ここには書かせて戴いてない事が、沢山ありました。

 もう数字の事なんてしないんだからと思っていたら、まるで別人になってしまったような、今までの自分を映像化出来ないような不具合が起こって来て、人体が上手く受像出来ないのかテレビの画像が崩れたように電波か光のフラッシュが壊れた電球のようなバチバチと通常通り安定して点灯していてくれないような事になって、あれあれ?とビックリしてしまっておりました。
 数字の事なんてしないぞと思って、今までと違う、自分では嫌で断っていた政治の事を考えたせいで、自分の意に背く事をして、正反対の自分になり、本人も周りも嫌な思いをして、
勇気を出して、数字や利尻島の事を肯定してみようかと思いました。それが出来たなら、つじつまがあうような気がするのです。

 そんな時にあまりにも体の具合が、物質的でないので、病院に相談するわけにもいかず、生長の家関連本流の先生方にご相談させて戴くにも、あまりうまく状況が伝えられず、仕方ないので、バーバラアンブレナン療法の先生を探してご相談させて戴きました。

 そうしましたら、その先生は、利尻島の禅寺のご出身で、毎日観音経と般若心経を読誦される先生で、若いころに谷口雅春先生の日曜のラジオ放送をお聴きになっておられた先生でした。
 私が生長の家の信仰者だという事を申し上げましたら、「生長の家は良い宗教ですよ」と確信をもって仰っておられました。

 今思えば、考えられないほど、渡りに船のような先生に出会えて、信じられないような展開です。
それで、私がこうなった一因として、利尻島などの神秘的事実を肯定していいものか、それとも多くの人に言われるように自分はきちがいなのか、沢山の人に否定されてつらかったことを申し上げましたら、別にきちがいとは思わない、利尻島の事は本当の事のような気がするように肯定して下さいました。

 私も瀕死の状態で、もう利尻島などの事を自分の中で否定しなくていいや、それこそ本当の事だと、神様からのプレゼントのような真実だと受け止めて、それ以外の事はもう気にしない事にしようと思いました。


 そうしましたら、今朝は浅草寺のお祭りなものですから、浅草寺のホームページを拝見させて戴いていたのです。
そうです浅草寺も13に関係がある所で、
先日はテレビで、中国では、13が高い地位を現わす数字で、13個の数珠玉をつけたネックレスの埋葬品からすると、この埋葬者は皇帝であったのではないかという事をしていました。

 そして少し前に気になっていた、住吉大神様や住吉大社は、兎に関係が深いけれども、浅草寺は、兎があまり登場しないので、浅草寺はウサギとは関係がないのだろうか?という疑問が解けました。


1827年で、1200年祭をしていて、という事は、1927年で、1300年祭にあたるはずですので、1300年祭というのは、こちらのブログでも、頻出してきたキーワードですから、1927年という、まるで大調和の神示のような年について調べてみましたら、

それは、昭和2年の卯年にあたる年だったそうです。
そして、生長の家が出来たのが、それから3年後の1303年昭和5年の午年なのだそうです。

再臨のキリストは、白馬に乗ってとは申しますけれども、生長の家が出現したのは、馬の年だったのですねぇ。

そして開祖の勝海上人のお亡くなりになられましたのが、谷口雅春先生と同じ6月17日だったという事は以前にも書かせて戴きました。

大化1年に建立
天安1年に円仁上人が御前立て観音像をお造りになられて、

以前にも月の事でこちらのブログに書かせて戴きました浄土宗の開祖法然上人様は、円仁上人様の法衣をまとわれてお亡くなりになられたという事もウィキペディアに書かれてありました。


 先日苦しい時に入浴していると頭の中に変形した月のような光るものがあって、それが磁力がでているように周囲と次元がちがう空間に浮かんでいるのが、見えたのです。頭の中なのに目で見えるなんておかしいのですが、
その変形した丸いものからモワモワと出ている感じに憶えがあって、

それは、20年前程に、親への感謝と堕胎防止のための講話をさせて戴くつもりで車で家を出たら、すべての信号が青色だったことがあり、その時の信号機の丸い青色の光から出ている感じが、ちょうどそんなふうに、モワモワとなっていたのです。
「今日の信号は、なんだかいつもと違って、モワモワしていて、異空間みたいだなぁ」というような事を思って、不思議な事もあるものだと思いながら、誌友会場に着いたのです。

 入浴時の月みたいなものは、それを意識して中央に固定するようにしていたら調子が回復するのですが、何分その時は、心が変形しているので、維持が出来なくて、行方不明になっていたのです。

 そうしましたら、今回浅草寺のホームページで数字を確認する時に、はっと気がついたら、バーバラアンブレナンヒーリングの先生が修正して下さっても完全に治ったのかは自覚症状がなかったのに、数字を見ている時に、治っていたのです。
それも、あのモワモワとしたリングか透明なホールのような円形の中で観ていて、楽になっていたのです。
そのまま見続けて居たら良かったのですが、もっとちゃんとさせようとして位置を治そうとしたら、また行方知れずのようになってしまって、
おそらく、「見よう」という意識がちゃんと見せさせてくれたのか、それまでは、「もう数字なんて見ないぞ」と思っていた意識が、ちゃんと見せなくしていたのではないかと思います。


 今日はそんな風に、浅草寺にも、兎と関係があったという事がわかって良かったのですが、
先日は、オリオン座も、兎と関係がある事が分かって良かったです。
オリオン座の足元に、ウサギ座という星座があるそうで、オリオンの神話の中にも登場しているそうです。

 日本ではオリオンの三ツ星は住吉さんと呼ばれて、兎は住吉さんの御使いとなっておりますが、
日本でも古代からオリオン座の下がウサギ座となっていたかは分かりません。

 26もよく登場する数字ですが、谷口雅春先生も明治26年のお生まれで、谷口雅宣先生も、昭和26年の卯年のお生まれで、
住吉大社の前が26号線、総本山の前が206号線、最後のご講話が5月26日、26とはどうした意味があるのでしょう。
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2019.03.18 Mon l 日本と生長の家 l コメント (0) トラックバック (0) l top
合掌 ありがとうございます

 新年早々?あちらこちらへお問い合わせさせて戴きました。
もうどなたにお聞きしたかも忘れてしまった位です。

お一人は、粟野先生ですが、粟野先生も総裁先生が全く間違われているかどうかはわからないと仰ってました。
私も分からないです。神様にしか分からないような気がします。
私は実相を観るのが好きでしたので、實相を祈っているだけでよかったなぁと思います。
祈るだけではダメ説にのったのが間違いだったような…?なぜなら反対しても効果なかったですもの。

粟野先生は、谷口雅春先生が直接にご指導されている光景に接していたので、
谷口雅春が、何か仰った事について、周りの信者が、「先生、それは間違ってるんじゃないですか?」と言ってきても、
決して怒られず、優しく詳しく丁寧に説明して下さっていた、そんな先生でらっしゃったという事を教えて下さいました。

だから、「年上の人の言う事には、絶対逆らうなというのが生長の家の教えではない」と言われました。
みんな誤解しているし、
本流の中でも、中には勝手に自分の考えを喋ってているだけの人もいるので、それを無理に信じなくてもいいと言われました。

宮澤先生も、迷いの中にいる人の言う事を信じなくてもいいと教えて下さいました。
変だな、と思う事を無理に信じなくてもいいと、
例えば、詐欺師の言う事を信じてはいけないのと一緒だと教えて下さいました。

私は今まで自分の事を信じず、本流の人の主張を無理して受け入れて、つらくても従ってきたけど、それももう何年になるだろう、
皇紀二千年の事だって、「それは、谷口雅春先生の教えの逆だ」と分かっていても、つらくても、信じようとしたり?
一体どうしてそんな事をするのか、今になっては、単なる時間の無駄でしかないと思いました。

何も谷口雅春先生の教えを聴聞に行って、その逆を聞いて、それを信じなくてもいいのに、早く決断して、ときみつる會様とか、谷口雅春先生の教えに忠実なところに駆け込めば、悩まなくて済んだのに、
一体私は、無駄な事で悩んで、自虐でしかないと思いました。

そのあげく、私を強引に本流の会に勧誘した当人が、もうその会をやめたいのだと言っていて、ああ現象無常と思いました。

20年前の事も、最近になってやめられた粟野先生が立派に本流の先生を去れているという事でしたら、
20年前にやめてないと罪だという説はなりたたないし、
人のいう事は、全く当てにならないのに、そんな事にふりまわされて、自己処罰するなんて、なんておろかな自分だったろうと思いました。


いままでが、自分よりも人を優先して、今回は、自分の一生の使命と思っていた事を停止して、本流の主張を受け入れて、それでこの顛末となり、

「谷口雅春先生は、自己内部の理想に達するためにてんま舟をこぐように本日」という事で必死で生きていたのに、本流の人がこちらの言い分は全く受け付けて下さらず、自分達の主張が絶対正しいとされて、
新経を反対する行為から本流へ行く事になり、そこからなぜか皇紀二千年の話しになってしまって、
でも天地一切に感謝しないといけないし、そんな事で悩む数年間になってしまっていました。

このブログでも、書きたい内容は書けないと申し上げて来ましたが、今でもそうですが、結局、心の中は、とてもつらくて、ついていけなくて、
今では、どうしてそんなにつらくても、どうにか本流に入れてほしいと努力したのはなぜだったのだろうと不思議です。
きっと恐怖心からだったのでしょうね。

どうして本流の人は、谷口雅春先生の通りでないんだろう?
これは間違っているけど、先輩たちが言うから、従わないとけないのかなぁと、
でも結局、結果を見ると、谷口雅春先生の教えられた真理だけが実在していて、まかりとおっている真理の法則でした。

そして私は、一番なりたくない自分になってしまい、やっぱり自分の内部理想に忠実でないといけないよ、自分の本心をおさえて、誰かのいいなりになるともう自分に戻れなくなる…戻りたいと思ってしまいました。

本心なんて、もう口にできない日々がずっと続いていました。どなたにあっても、一人一人意見が違うので、口に出しても意味もない事ですし、気分を害される可能性もありますし、他の方々も、個人の信仰をされておられるようです。

そして、きっと偉い先生が今後もご活躍下さるでしょうから、
一人一人は、真理は生活にありという事で、家庭を天国にしていくようにすればよいのでしょうね。


不食は、谷口雅春先生の未来の予想図が実現する可能性の証明みたいな事で興味を持ちましたが、生長の家の一番最初の神示が、食事の神示ですので、一番最初の神示をおろそかにしないようにして生きて行きたいです。


本流の業務は社会的で難しいのに、波頭を乗り越えてそれをやりこなせる方々は素晴らしいと敬服致します。
私はそんなレベルが無かったのだと思います。

まじめに毎月の伝道のために良い普及誌を探さないとと思って、選択のために憲法を調べましたが、
家族からは、「まず自分を救え」と言われるようになりました。

本流に入れてほしくて、無理した結果、自分をおきざりにして、五里霧中を歩いているような感じになりました。
何事も無理はよくない、少しでも「心」に負担を感じたら、う回路を探すようにしたほうが良かったなと思います。

今になって神様にすがったり、悪は無い罪は無いと20年前の事でもなかった事にするなら、最初からそうしていたら、苦難は無かったのに、
つまり、神様や甘露の法雨の内容を本当に信じていなかったからこうなったと思いました。

人が、罪人よ罪人よと言ってきても、罪は無いと書いてあるのに

大熊先生の夢に谷口雅春先生が出て来られて、お地蔵さんが今月中にもたくさん集まられるそうですから、努力されている人は神界からもよく見えているのだと思って、私もいつか献資させて戴きたいなぁと考えています。

大熊先生が、別に月光の曲でなくても、諸作品でいいですよと仰るので、それならそうしようと思いました。

今は、もうみなさんそれぞれの道を歩まれるそうで、人の意見は耳にも入れない感じで、そんなものなんだなぁと分かりました。

私はみんなが助かる方法を一緒懸命考えて、そんな事、誰も望んでなかったのに、おろかだったと思いました。

無事な方は、結局、人の意見よりも、自分の意見に従っている人のような気がしました。
2019.01.16 Wed l 日記 l コメント (0) トラックバック (0) l top
合掌 ありがとうございます

 少し近況だけご報告させて戴きます。色々事情があって私は本流の会にはやっぱりついていけないと諦めて、元藤棚の家の先生と時々連絡をとるだけという事になりました。あとは、心のかけはし誌を配る位しか出来ません。
当初から、無理と判断していたら何も困らなかったのに、無理して移行しようとするので、大変だったのだと思います。
どこの会にも属さない人は多いそうですから、単にその一人になっただけで、それでは恩返しが出来ないと悩んで、それで無理してしまったのだと思います。
恩返しどころかご迷惑をお掛けしないほうが良かったのに。

 今でも、分裂騒ぎの内容が私にはよくわかりません、わからなくていいのだと思うようにしました。
そんなでも、私は元藤棚の家の先生にお電話するという事が出来て、それは恵まれている事だと思いました。
個人指導の適切なアドバイスが出来る人というのは、それほど多くないような気がします。
その先生も、「あなたは、誰にでも相談するので混乱する、人は、百人居たら、百の回答が返ってくる。相談していいのは、よく見知っていて、心から信頼がおける、祈りに徹した先生で、例えば、本住吉神社に通っておられた福島先生のような、ごくごく限られた先生しか相談してはならない、特に家庭の事は、言ってはならない」と言われました。

 そして私がほかで相談させて戴いた内容とは、真逆の答えが返ってきました。
逆の答えなので、ほかでの回答通りにしていたら、一体どうなっていたんだろうと思います。
ですから、本当に御教えをかなり深くまでご存じの先生でないと、正確な個人指導は無理なのではないかと思いました。
でもそこまで教えがわかられる先生というのは、どれくらいおられるのでしょう…多くの人が救われたらいいですね。

 そして、最近私は、やめるの早かったと言って叱られました。20年前説はどこへやら、やめたやめないで責められる事には、もうヘトヘトです。20年前の事で悩んで自己処罰するなんて馬鹿げていました。人は色んな説をたててやめるやめないで責めるものなのですね。もう甘露の法雨にあるとおり、「罪は無い」に徹しておけばよかったです。そしたら何の問題もなく済んだのに。

 今までは、移籍を気にしていたけれど、これからは、心の中のほうを気にしようと思いました。お聖経にも、心の中にしか神の国は無いと書かれてありますものね。
20年前の事云々言われたら、心がグニャーと歪むような気がして、それはとても良くなかったと思いました。

他の人は、色んな説を立てられますが、自分の心がつらさで、グニャーと歪んだら、それは自分にとってよくないので、自分で自分を守るほうが良かったと思いました。
どこかの会に属されてお幸せな方は羨ましい限りですが、色んな事情があってそう出来ない場合も、心を歪ませない方法を選ぶほうがいいのですね。

私は形上の移行をしようとして心の痛みは無視したので失敗したのかなぁと思います。
まだよくわかりません。ただ天地一切に感謝させて戴いてます。
手短ですが、近況は以上です。
今年も一年ありがとうございました。
来たる新年が佳き年でありますように。


2018.12.29 Sat l 日記 l コメント (0) トラックバック (0) l top
合掌 ありがとうございます

 天皇陛下が最後の御行幸に高知においで下さったそうですが、実は清田区役所にもお立ち寄り下さったのは、書かせて戴いたでしょうか? 清田区役所に隣には、開拓者のおじいさんが建てられた天照大御神様をお祀りする神社があります。谷口雅春先生は、毎日天皇陛下と皇室の弥栄をお祈りさせて戴いていたおばあさんのお宅に急に天皇陛下がお立ち寄りになった実話をご紹介されている音声が残ってましたが、そういう事は本当にあるのですね。

 そして、清田区役所で、ご休憩されている時に、近所のウサギのマークのケーキ屋さんのスイーツをお召し上がりいただける事になったそうで、天皇陛下献上菓子と書かれた大弾幕をウサギのケーキ屋さんが掲げておられました。
 このお店は、ずいぶん以前にここにもご紹介させて戴いた事があったような気がするのですが、一時、小樽のしおつち?に似た名前のロウソクを売っていて、それを家族からクリスマスプレゼントに戴いたという事があり、その時から、「おそらくこのお店は、住吉大神様と何かしらの関係が深いに違いない」と思っていたケーキ屋さんでしたので、やっぱり、住吉さんネットワークと申しますか、神様の経路のようなものが、神縁のようなものがあるに違いないと思いました。
 家族がパンをずいぶんと気に入っていて毎朝食べてはニコニコ喜んでいます。
 それにしても清田区にぴょんと突然そのようなお店があるというのがなぜかなぁ不思議だなぁと思います。

 そして、古事記の先生の所の近くにも天皇陛下が御行幸下さり、北海道では不思議とその二つの土地にお立ち寄り下さり、
古事記の事で大変な思いで努力していたのを神様がご覧になっていたのかなぁと思ってしまいました。

 そして高知にもという事で、やっぱり神様は何でもお見通しなのだろうなぁと思ってしまいました。

 古事記の先生に、「皇紀は2600余年ではなく、2千年が正しい」とか言われて随分と叱られて、古事記の事をしに行けなくなってしまいました。ちょうど橿原神宮の2600年祭の日の前後で、天皇陛下が、神武天皇様の前に頭をおさげになっておられるような時期に、そんな事で猛烈に叱られて顛倒してしまいました。
 そんな事言っていたら、天皇陛下も明治天皇様も雅春先生も間違っていた事になるし、雅春先生は、二千年説は間違っていると教えて下さっているし、それなのに激しく叱責されて、卒倒しそうになりました。
 冷静に考えると、2678年が正しいとしか思えないのを強烈な叱責で思考能力を失ったようになってしまって、ずいぶんと悩みました。
 周りの人達も、その先生のほうが正しいとして、そんな事気になる私の方がおかしいと見えるそうで、ますます分からなくなってしまいました。
 でも客観的に考えると、2678年が正しいのに、やっぱり有名な先生だから、みんなそちらが正しいと錯覚してしまうのではないかと思いました。

 困り果てて、ときみつる會様にお問い合わせさせて戴きますと、もちろん皇紀2600余年が正しいと、簡単明瞭なご回答です。
 何もわざわざ雅春先生が、「間違っている」と力説しておられた二千年説を信じる必要はないのに、真剣に悩んだ私は、一体なんだったんだろうと思いました。

 そんな時、教団に残っておられる古事記の先生の古事記が懐かしくなり、郷愁にかられて、教団に戻りたくなります。教団に残っておられる先生の古事記は、雅春先生のご著書通りの古事記でしたので、本当によく分かったのです。なんと申しますか、言葉の響きで、伝わって来るものがあるのです。雅春先生通りの古事記は…。
 かといって、戻るわけにもいかず、途方に暮れておりました。神様のお役にたたないといけないのに、神様に申し訳なくて、良心が咎めます。

そうこうしているうちに、なぜか食事量がずいぶんと減って来ました。こんなに少量で生きていけるものだったのだなぁと思いました。一体どうなっているのか不可解です。

 肉体と言うものは本当に無いものなのだなという体験もしました。キリストがスターデーリーにしたように實相直視するということがいかに大切で強力な事かもわかりました。
 それでも歯医者にかかれる事が不思議です。かぶせていたのがとれたのでガリガリと削れるので、肉体無しなのに不思議だなぁ、でも歯医者さんが居て下さって有難いなぁと天地一切のものに感謝していました。

 私は、歯茎も健康で、歯周病も口臭も無く、家族に羨ましがられました。多くの人が、そういったトラブルで悩んでいるそうです。
そうか、恵まれている点に感謝しないといけないなぁと思ってしまいました。
法華経には、このお経を読む人は、歯並びが良くて、口の問題が無いとかそういう事が書かれていたような気がします。
本住吉神社に通っておられた法華経の先生も、ご高齢で若いころからチョコレート大好きで、会社の引き出しはチョコレートだらけだったという、かなりお痩せになった女性でしたが、まったく虫歯が無かったのです。ですから90歳位でも入歯も無いのです。
「歯医者さんには、あなたはエナメル質が強いんじゃないですかね、って言われます。幼少時に太陽光を沢山浴びたのが良かったのかも」と仰っていました。
 私は珪藻土?でしたかアイヌの人がお薬につかう土とプロポリスで口を洗うようにしています。そのお陰かも知れないですね。

 本住吉神社の早朝神想観に通われていた故人の先生で、阪神淡路大震災の日も予想されてました。前もって、「天地に感謝しなさいよ、特に地に感謝しなさいよ」とみなさんに促され、7か、17か、あと一つ何の日だったのか失念してしまいましたが、その三つの数字の内のどれかの日に来るというような予想をされていたそうです。7は完成の数字で、17は、雅春先生のお亡くなりになられた日で、結局、雅春先生がお亡くなりになられた日に起こったという事になったのでした。そういった事は神様が教えて下さるそうです。なるほど、神様は未来がお見通しなのですね。

 そういう風に、数字は、結構重要と申しますか、それが分かる先生が昔はおられたのですが、私が掲示板で書かせて戴いても、数字の事なんかと全く理解が戴けずに、本流におられなくて、今でも数字が分かられる先生がどこかにおられるとは思うのですが、他の方々との接点が無くなり、おられるのかどうかは私には分かりません。

 私も数字の事を反対されたのがショックで、もう数字の事は言わないようにしようと思っていますから、今度、数字の事がわかられる生長の家の先生が出られるかどうかも分かりません。

 ちょっと今は、2600余年か、2千年かの問題で、悩む必要は無いというのに、また頭の中が混乱していますのと、やめるやめない罪在りや無しやという事を長い事悩み続けていたのを「やっぱり20年前のやめるやめない事件では、やめないで正解だったような気がするとしか思えない、本流の人は、やめたほうが正解だと主張されるけどと思ってしまいました。ですから私は無理して本流に行こうとしてそれは間違いだった可能性が高いのです。なぜなら、自己否定と罪滅ぼしの行為になると、「20年前やめなかった私には罪がある」という考えになり、心の中に、実は無罪であるところに、罪を思い描きますから、心の中の投影として、外界に罪があらわれるから、それで間違いのような現象を起こしてしまったのではないかと思いました。

 お聖経には、罪無しと書かれていますのに、やめるやめないで罪があるなしで悩んで、もっと深刻な状況になり、絶対に罪というものを心に描いてはいけないものだと分かりました。
 人類無罪宣言はとても大事だと思いました。
 罪があると思うから、心に罪を思い描くから、それが外界に投影されてしまって、映写機のように、本人の意思に反して、そんな現象があらわれてしまうのだろうと思います。
 困っておられる人には、罪というものはそもそも無いのだという事を知らせるだけで、心の中の自己を責める思いが無くなり、現象が楽になるかも知れないと思いました。

 今まで長年、スターデーリーのキリストの救済方法を追求してきたのに、その逆の環境になり、ほんとにこんな事でいけるのかなぁ?と不可解でしたが、私にはやっぱり霊的宗教的な空間しか無理そうです。最初から適性を見てあきらめてればよかったのに、毎月の普及誌愛行の数冊を手に入れないといけないとか焦って大急ぎで正しい普及誌を探す…また、伝道が出来なくなるといけないので、分裂せずにすむ方法を書く…でも受け入れられないので逆に苦しむ…と、無駄な苦労ばかりしてしまいました。

 でもね、本当に谷口雅春先生は、かなり凄い方だったと思うのです。
宗教的聖者というよりは、一思想家位に思っている人もおられるのかおられないのか?愛国のみに意識を集中されて、それも大事だと思うのですが、「再臨のキリストは、白馬にまたがってあらわれる」と黙示録から見抜かれた雅春先生が、その人生の最後に総本山を建立されて、白馬をハッキリあらわされたという事になりますと、本当に生長の家は再臨のキリストの教えですし、再臨のキリストの白馬は日本列島なら、日の本の教えが再臨のキリストの教えという事で、まさに生長の家の教えとしたいところのものであると、そうわかりますと、雅春先生が総本山を建立されて、日本の實相が顕れた姿であった、本当に谷口雅春先生は、単なる一思想家一愛国者ではなく、宗教的大聖者であったという事がハッキリと分かると思うのです。
 私は本当に生長の家と谷口雅春先生は、本当に凄い教えであったと思うのです。

 かつて森田先生が大阪教区の教化部長をされておられた時に、会社の経営危機の時に特使会員になる事をすすめられて、そうしたら会社がもちなおし、皇室・宮内庁に製品を納める事になったという体験談を総本山でされた方がおられました。皇室や宮内庁には、こちらからお願いしても注文をして戴けるとは限らないのに、神様のとりはからいとしか思えないのです。神秘の世界は、人間には計り知れないものですね。その神様は、すみずみにまで満ちておられて、観世音菩薩的にも顕れられて、ありがたい事です。
2018.12.04 Tue l 日本と生長の家 l コメント (0) トラックバック (0) l top
合掌 ありがとうございます

 『心のかけはし』誌のの138号に、昔日本では、お月見の夜には、月読命か、勢至菩薩の掛け軸を掛けてお月様をお祀りしていたという事が書かれてありました。

 私は「月が月が」と言っていたら、勢至菩薩の降臨の聖地とされている所に住む事になりました。
窓から、生長の家大神様とご縁が深そうな山が見えているのですが、春になると、残雪が合掌された勢至菩薩様のような姿に残る事が分かりました。
勢至菩薩は合掌しているお姿をされているそうで、生長の家の聖使(セイシ)命菩薩も合掌する人々であったなぁと思い出しました。

 生長の家大神様は、実は阿弥陀様にもなっておられるという事を谷口雅春先生はお書きになっておられましたけれども、生長の家は阿弥陀様の脇侍である観音菩薩様を本尊として拝みますけれども、同じく脇侍の勢至菩薩様は、お祀りされてないのはどうしてだろうと考えて居たのですが、
聖使命菩薩様なら、総本山にお祀りされていたなぁと思いました。

 そうでした聖使命菩薩は合掌する人々でした。

 我らは、住吉大神様の分霊という事になってますから、昔から「月光の光と共に住吉の大神様があらわれられる」という一説は、本当と言えば本当の事であったような気がします。
合掌する聖使命菩薩は、住吉大神様の分霊だったのでした。

 結局私は、退会しても、周りの先生方が高齢化?で活動をやめられたので、結果たった一人となったり、
自分は、霊的だからみんなに受け入れられなくていけない、もっと物質的活動が出来ないと、お国の役には立てないと思って、物質的になろうとして、かえって調子が狂い失敗して、何でも適性に合った事でないと無理だと、もう現実的活動をされている方々のお誘いを受けても断るしかないと思うようになり、昔の事を思い出していました。

 昔、高齢の女性の方の畑の草抜きを手伝いに出かけていた時があり、その時下車した駅では、どうしたことか体がものすごく重くて苦しくなり、一体どうした事かと思っていたのですが、その駅は通路で大事故があった駅で、それ以前は、と殺場であった場所だったそうです。

 以前掲示板にも書かせて戴いた記憶がうっすらとあるのですが、何とかビーフで有名な地域ではあるのですが、牛のお化けのようなものの噂があったり、牛さんの事は本当に可哀想で、住んでいたら放心状態になりそうでした。

 昨日でしたかヤフコメ欄で、何とかビーフの話題があり、一般の方は、こんなお考えで生きておられるのだなぁと、もう現実社会の人についていくのは諦めようと思いました。

 レインボーチルドレンの子供達は、やっぱりかなり小食だそうです。
Youtubeでお話しをお聴きしていたら、本当に心が和み、安らかな気持ちになれます。
住吉祭の日のお生まれで、まるで住吉大神様の教えのような内容で、谷口雅春先生の御教えと聞き比べても違和感が無いのです。
キリストも、いつか子供に教えてもらうようになる時代が来ると仰っていたと思いますが、それが今なのでしょうかね

綺麗な心を持った日本、美しい言葉を使う日本は、神様が居やすいそうです。
神様を理解でき、神様とつながりやすいのが日本人なのだそうです。
日本は神様に一番近い国なので神様がいっぱいやって来られて、だから日本は世界の中心なのだとか。

リンクをお願いするはずのメールがご返信を待っていてリンクしてご紹介出来ないのです、すみません;

世界はレインボーで出来ている事を話されていましたが、そういえば、お聖経でも、五彩の虹雲の柱になりて空にかかり、實相の国そのままのみ栄を実現したりきと書かれてあり、虹は實相世界に酷似している状態なのだなぁと思いました。

最近はよく何においても虹色の太陽光線を見かけます。

地球がだいぶ軽くなっているというのは、本当のような気がしています。
なぜなら、私の体も、体内に風が吹き抜けているようなのを実際に感じるからです。
元々、体というものは、無い、からっぽなものだというのは、本当なのだと思います。
お聖経に書かれてある通り、人間とは、空中遊歩の神人で、
という事は、物質に見えている地球だって、空中遊歩の方である事は、不思議でないと思いました。
実際に宇宙空間には浮いているのですし。

レインボーチルドレンのお子さんが仰るには、神様が生んだので、すべての人は神様であり、金星も土星もすべて神様が作ったものなので、神様でありレインボーであるという事なのですが、それは本当の事だろうと思います。
金星も土星も空中遊歩の神人ですね(笑)


 そして今晩は、オリオン座流星群が流れ、十三夜の月の日なのだそうです。

『今夜、オリオン座流星群の活動がピークに 全国的に晴れて観測チャンス』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181021-00005996-weather-soci

『今夜は十三夜 星降る夜に輝く月にも注目』
https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20181021-00005994-weather-soci

『「十三夜に曇りなし」はホント?』
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181021-00005998-weather-soci

「日本列島の形成は、3000万年前の「日本海開裂」後、まず「東北日本」が左回りに「西南日本」が右回りに回転しながら移動し、1500万年前の「伊豆弧」(フィリピン海プレート)の衝突等による“圧縮”を受けて、両者が繋がって、かつ高い山脈・火山等が形成されて現在に至ったのだと言います。」

と教えて戴けたのですが、左右陰陽の回転が日本列島を産んだと言うのは、日本神話の国産みでありますね、イザナギイザナギ神の陰陽二神が、天之御柱を中心に、右回転にグルグルと回られまして、淡路島が初めに産まれた事になってますが、そこには鳴門海峡があってずっと潮がグルグルしていますので、まさに現実は、神話の通りになっているような気がします。

ギリシャ神話では、お月様が銀の車輪のグルグルでオリオンに会いに行った時に、オリオンの目が良く見えるようになって良いという事でしたね。

真理が日本を照らし出す様子に思えるのです。


もう一度まとめて申し上げますと、

本列島は、オリオン座の形になっている気がする
オリオンの三ツ星は、住吉さんと呼ばれていた、住吉大神は三位一体の神様で、住吉大社は三ツ星のように並んでる

よく見たら、オリオン座は、星空では、白馬のようにうかびあがっている
聖書には、「天にあるが如く地にもかくあり」という言葉があり、
黙示録に預言されてた白馬の~というのが、日本列島の事に思える、なぜなら
夜景では日本列島は、龍の形になってるけれど、今、西ノ島が生まれてきて、前足が生えてきているような状態

再臨のキリストは、電球が発明されてきた頃から登場しだすという事では
電球ではなく魂の事かも知れない、人々の魂が、人助けのために輝きだす頃のこと

住吉大社には白馬を神馬として奉納する、それも昭和天皇祭の日に
黙示録には、月を踏みと書いてて、海の底まで映せる映像技術が発達した今では、日本列島が踏んづけてるような恰好になっている海溝が、ちょうど三日月の形をしている


キリスト教も、ギリシャ神話も、エジプトのピラミッドも、砂漠地帯の伝説も、実は、みんな一つの宇宙の根源神の事を信奉していて、何も地上で宗教戦争をしなくても良いのではないかなと思います。

・・・・・


 外国の有名な聖者の予言も、今までとても当たっているけれど、私は、谷口雅春先生の生長の家に救われたのだし、生長の家大神様・住吉大神様は再臨のキリストであるという事が、黙示録の白馬の箇所を読んでハッキリと分かったので、

有名な聖者の方は、地球の滅んでいく様子を予言されておられて正確だったけれども、黙示録の再臨のキリストの事は、ふれておられなかったので、
私は谷口雅春先生の黙示録解釈のほうを信じようと思います。

 信じるだけではダメで、伝道なりしないといけないのですが、一体どうやったらいいのかなと思います。
ブログもやめてしまったほうがいいのかも知れないとも思っています。

2018.10.21 Sun l 住吉様の面影 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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