合掌 ありがとうございます

 70代位の方とお話しさせて戴きましたら、渡部昇一先生も、谷口雅春先生のご著書に出会ってから、進路を変更された、渡部昇一先生の憲法無効論のルーツは、谷口雅春先生だ、という事を教えて戴けました。

 インターネットで探してみました。


「生命の全的把握としての 『國』 と 『家』 」 谷口雅春
https://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19738538.html

 私が憲法復元を高唱するのはこの意味における祖孫・親子・一体の生命の宗教的心霊的把握の上からであって、

『現行憲法が単に、占領中に押しつけられたものであるから、その内容は良いけれども排斥する』というような、そんな根拠の薄弱なものではないのである。


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こちらの動画の1:15:00~ 「改正より、復元のほうが、手続きが簡単だ」と仰っていました。

https://www.youtube.com/watch?v=1VpW0yInTEU





 青山さんの動画について、その後も考えたのですが、

青山さんは、まるで民主主義を否定しているかのような印象を受けてしまう内容を話されているような気がして、真偽の方が知りたいと思いました。

それなのに、今の憲法を改正するのに、国民主権でという事になって、少しちぐはぐな気もしました。


 それから、青山さんは、「尖閣などの島をどうやって守ったり、取り返したりするというのか、具体的に言ってみるべきだ」というような事を仰っておられましたが、

ねずさんのブログによりますと、南の方の海は、天皇陛下のもの、という事になっていたのを、終戦になり、アメリカに預けているままの状態になっているという事で、

その時のメンバーに、中国は入っていなかったので、中国に譲るわけには行かないので、

帝国憲法にいったん戻さないと、南の方の海の持ち主があやふやなままになってしまうと、

そう書かれてあるように私は読めましたが…。


「領土主権と集団的自衛権」 ねずさんのブログより
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2691.html

 このブログの多くの読者の皆様は、おそらく日本の、北海道、本州、四国、九州などにお住まいの方々であろうと思います。
そこで皆様に質問です。
「北海道、本州、四国、九州の領土主権者は誰でしょうか?」

以前にもこの答えは書いたことがあります。
お読みの方は、もう答えがわかっておいでと思います。

けれどはじめてそのように聞かれた方は、どのようにお答えになるでしょうか。
「主権在民だから日本国民」とお答えになるでしょうか。
けれど、本当にそうでしょうか。

たとえば、東京の新宿には、たくさんのビルが立ち並んでいます。
仮にそこがどこかの国の人によって占領されたとします。
現に、そのような状態になっている地域もあります。



けれど、それに対し、他の地域にお住まいの方は、国民として、自分の領土として、領土である新宿の奪還をされるのでしょうか。
現実には、自分のものでものなんでもない、そこは単に「他人の所有する土地や建物」でしかありません。
ということは、日本国民は、領土主権者にあたりません。

国民主権であって、その国民は国民の代表を国会に送り込み、その国会から大臣が出ているのだから、政府がなんとかしてくれるのではないか。
そのようにお考えの人もいるかと思います。

けれど現実問題として、韓国に軍事占領された竹島にしても、ソ連に軍事占領された北方領土にしても、政府は遺憾の意を表するだけで、現実論として何もしません。
何もできないのです。

日本国政府(立法、行政、司法)は、日本国憲法下の存在です。
けれどその日本国憲法に、領土主権のことは、ひとことも触れられていないのです。
嘘だと思うなら、日本国憲法のどこに「領土主権者」の条文があるのか、教えてください。

たとえとして新宿をあげましたが、実際のところ、例はどこでも良いのです。
北海道、本州、四国、九州、そのどこであれ、他国から不当な攻撃を受け、占領された場合、つまりそれは「日本の領土主権が脅かされた」という状況ですが、それが国家間の紛争であるならば、日本は軍事的にその地域の奪還はできません。
そのように日本国憲法に書いてある。9条がそれです。

だから「平和憲法なのでありがたい」というのは間違いです。
国家というのは、国民の生命と財産の安全を保つためにこそ存在します。
警察も消防も自衛隊も、まさにそのためにこそ存在しています。
にもかかわらず、現実の脅威に対して、何もできないというのでは、火事が起きても消火活動ができない消防署みたいなもので、それでは国家の体をなしません。

そもそも「主権」というのは、排他独占的に国家を保持する権利です。
ということは、「領土主権」は、日本国の領土について、排他独占的に領土を保持する権利であるということになります。

国民主権というのなら、その領土保全者が国民に分散されていることにりますが、たとえば、元寇のときのように、壱岐対馬の島民が皆殺しにされた場合、では、壱岐対馬の領土主権は、誰がどのように保持保全するのでしょうか。

日本国憲法に領土主権に関する取り決めがないということは、おどろくべきことに、日本は領土主権がない国家であるということになります。
領土主権がない、ということは、日本の北海道から九州沖縄まで、そこは無主地であるということです。

無主地であれば、どの国が軍隊を勝手に進めて、そこを軍事占領し、「今日からここは我が国の領土だ」と宣言したら、それで日本の北海道から九州沖縄までの全エリアは、その国のものになる、ということです。

日本に領土主権がないということは、日本が他国に蹂躙されても、日本にはそれに反発する権利も権限もなければ、反撃する権利もない、ということなのです。

繰り返しますが、現に、日本の北方領土、あるいは竹島は、外国に蹂躙されたままになっています。
なっていますが、日本は、それを取り返す権限も権利も行使していないし、軍事力の行使もしていません。

そもそも、その権利も権限も、憲法上、何の規定もありませんし、それどころか国際紛争を解決する手段としては、日本は戦争を放棄すると憲法に書いてあるのです。

もちろん、日本政府が、国連で「話し合って解決する」という手段は残されています。
けれど、その国連において、日本は「敵国」です。
そして、具体例をあげるならば、中共は「安全保障理事国」です。

その安全保障理事国は、国連の決議も承認もなしで、国連加盟国に敵対する国に対して、独断かつ一方的に軍事力を行使しても良いということになっています。
おそろしいことですが、実は、これが日本の置かれた現実です。

なぜ日本国憲法は、こんなに大事な領土主権に関する条項がないのか。
このことは、日本国憲法が成立したときを考えれば、おのずと明らかです。
日本国憲法は、日本がGHQによって占領されているときに施行された憲法です。

占領下にある国の領土主権は、ちょっと特殊な事情になります。
どのような事情なのか、イラクを例にとってみます。

イラクのフセイン大統領は、米国を筆頭とした連合国(United Nations)と交戦して破れ、連合国によって軍事占領されました。
そして国家主権者であるフセイン大統領が亡くなり、フセイン政権も崩壊しました。
つまり、領土主権者がいなくなりました。

では、イラクは、連合国の、あるいはもっというなら、連合国の長である米国の領土になったのでしょうか。
答えは、否、です。
なぜなら軍事占領は、領土主権を奪うものではないからです。
では、イラクの領土主権は、どこに行ったのでしょうか。

実はこの場合、領土主権も、国家主権も、一時的にイラク国民全員に分散されます。
そして一時的に、領土主権は占領軍が代行します。
これは一時的に代行しているだけで、軍事占領=領土主権者となる・・・すなわちイラクが米国の領土になる、ということとは異なります。
あくまでも、軍事占領は軍事占領でしかないのです。

ですから、イラクを軍事占領した米国は、フセイン政権に変わる新たな政権をイラクに打ち立てます。
そしてその政権を連合国諸国が承認したとき、はじめて、イラクは再び領土主権を保持した独立国家となります。

ですからその趣旨からいけば、軍事占領下にあった日本において、その占領統治の基本法規である日本国憲法に、「国民主権」と書かれているのは当然のことです。
日本が軍事占領されていたからです。

ということは、昭和27年に日本が主権を回復したとき、領土主権者についても、ちゃんとした規定が必要だったのでは、と誰もが考えると思います。
実は、必要がなかったのです。

昭和27年のサンフランシスコ講和条約によって、大東亜戦争は終結しました。
それまでの間、つまり昭和20年8月15日の終戦から、昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効の日までの期間は、戦争が継続しています。
戦争が継続しているから、軍事占領があるのです。

そして条約が交わされ、戦争が終わったから、GHQも解散して、日本は独立を回復したのです。

ここは大事なポイントです。
昭和20年8月15日は、あくまでも日本が自主的に戦闘行為を終わらせた日でしかなく、大東亜戦争が終結したのは、サンフランシスコ講和条約発効の日である、という点です。

さて問題は、このサンフランシスコ講和条約を、日本では誰が調印したか、です。
答えは、吉田茂全権です。
このとき吉田茂氏は内閣総理大臣でしたが、吉田氏は日本国憲法下にある「日本国内閣総理大臣」として条約に調印したのではありません。

なぜなら、日本国憲法には、領土主権者の取り決めがないことに加え、日本国憲法下の日本国が連合国と戦争をしたのではないからです。

連合国と戦争をしたのは、大日本帝国です。
そして大日本帝国は、れっきとした君主国であり、国家主権、領土主権とも、天皇がこれを保持しています。
ですからサンフランシスコ講和条約では、日本国天皇から全権を委任された吉田茂氏が、大日本帝国の全権となって講和条約に調印しています。

大日本帝国憲法は、日本国憲法施行後も、廃止にはなっていません。
どうして廃止になっていないのか、それにはちゃんとした理由があるのです。
連合国が占領したのは、大日本帝国であって、その占領統治のために日本国憲法を施行したからです。

そうでなければならないのです。
なぜなら、大日本帝国を解体してしまっては、戦争の終結ができないからです。
つまり講和条約の締結ができないのです。

そしてサンフランシスコ講和条約後も、大日本帝国憲法は廃止されていません。
ということは、日本国憲法は、平時の憲法として日常の日本国の運営について定めていますけれど、仮に国家の非常時となったときには、実は大日本帝国憲法が蘇る。その可能性が残されているということになります。

現に、大日本帝国の吉田全権が、サンフランシスコ講和条約の調印を行っているし、そうでなければ領土主権問題の解決ができないからです。
でなければ日本本土は無主地になってしまいます。

そして大日本帝国憲法に従えば、日本国は万世一系の天皇これを統治すとなっていますから、主権者は、国家主権、領土主権の区別なく、日本の主権者は天皇陛下です。

日本国憲法に領土主権の規程がない以上、日本国の領土主権の及ぶ範囲は、廃止されていない大日本帝国憲法に基づくしかないのです。
もっというなら、我が国の歴史伝統に即してみても、日本の領土主権者は、今も昔も天皇です。

そして実は、このことが、いま、たいへん重要な意味を持ってきているのです。

というのは、中共政府が、南沙諸島に勝手に軍事施設を建設しました。
国境の近いフィリピンやインドネシア、台湾にとって、これは脅威です。
ですから米国は、中共政府のこの行為について、NOと言っています。

中共政府は、南沙諸島、西沙諸島は無主地と考えています。
無主地ならば、安全保障理事国である大国がそこを占有し、領土としてしまうことについて、誰も咎めることはできません。

ところが米国は、これにNOを突きつけています。
もちろん、フィリピン、インドネシア、台湾もNOです。

問題は、米国が、どういう権原に基いてNOと言っているかです。
なぜ米国がNOといえるのか、でも良いです。

NOと言う以上、そういう主張ができるだけの根拠となる権利権原がなければ、米国は中共政府に対抗できません。
もちろん支那の軍事行動に対して、米国の軍事行動は、もってのほか、となります。

その権原とは何か。
実は、米国には、ちゃんと中共政府に対して、南沙諸島に手を出すな、と言える根拠があるのです。
それが、サンフランシスコ講和条約です。

サンフランシスコ講和条約には、南沙諸島、西沙諸島に関して、日本が「権利権原及び請求権を放棄する」と書かれています。
これは、言ってみれば、私の携帯電話を、どなたかに売却を含めて処分を委託した、というのと同じことです。

日本は南沙諸島に関する処分権を放棄して、連合国の長である米国に、その処分を委ねたのです。
これが昭和27年の4月28日です。
そのサンフランシスコ講和条約に、中共政府は入っていません。
つまり中共政府に権原はありません。

米国により、処分先が決まれば、日本は当然のことながら講和条約に基いて、南沙諸島、西沙諸島に関する領土主権を手放します。これが領土の割譲です。

ところがそれから63年を経由して、いまだに米国は処分先を決めていません。
ということは、相変わらず日本は処分権は手放したままではありますけれど、領土主権者は日本国天皇のまま、ということになります。
つまり、南沙諸島、西沙諸島とも、たまたま、領土主権者と処分権者が異なっているという特殊な環境にあるだけで、無主地ではないということになります。
そしてその天皇から、処分権を委託された米国は、処分権の保持とともに、領土保全の責任があります。
だから、米国はNOといえるし、中共の勝手な占有は「根拠が無い」といえるのです。

もとより中共政府には、南沙諸島、西沙諸島に関する領有権(領土主権)はありません。
日本も、中共に領土の割譲を行っていません。
もちろん米国も、中共にこれまで一度たりとも、領有権を引き渡すようなことは言っていないし、そんな条約もありません。

そしてそうである南沙諸島、西沙諸島を、中共政府が勝手に軍事占領したということは、これは国際秩序に対する重大な背信行為です。
つまり米国は、処分権者として、中共政府に対して「勝手に領有するな、出て行け」と言っているわけです。

そして国際関係においては、話し合いで解決が着かないなら、経済その他での制裁が行われ、それでも止まないなら、軍事力が行使されることになります。
つまり、中共政府の行動は、南沙諸島、西沙諸島への軍事行動を通じて、「寝た子を起こした」ことになるのです。

ここで米国には2つの選択肢があります。
ひとつは、領土主権者を中共に決めるという選択です。
そうすれば、ドンパチの紛争は起こりません。

起こりませんが、米国は、インドネシア、フィリピン、台湾の信頼を失い、東亜地域から最終的に追い出されることになります。
同時に日本は、南シナ海という海上輸送ルートを失い、経済が壊滅します。
なにせ石油を運べなくなるのです。

もうひとつの選択肢は、日本国天皇に領土主権を戻す、という選択です。
この場合、中共対策の窓口は日本になります。
米国は安全保障条約にもとづき、日本のバックアップをする、という体制になります。
これは、日本と中共のドンパチを招きません。

なぜなら、日米、フィリピン、インドネシア、台湾、インド、ベトナム、タイ、ミャンマーなど、中共を取り巻くすべての諸国が、反中共政府包囲網となるからです。

中共の不逞行為は、咎められ、中共国内の軍閥と、支那共産党政府が対立関係となり、中共政府は崩壊します。

実は、戦争を避けたい。けれど正義と秩序は守りたいというなら、選択肢は後者しかないのです。
これが「集団的自衛権」です。

この場合、日本の位置はとても重要です。
なぜなら、本来の領土主権は、日本にあるからです。
その日本が、腰抜けでは、まったくもって話になりません。
中共の横暴を認めざるを得なくなるのです。

日本は、積極的に中共の横暴に加担したことになり、まさしく世界の正義と秩序の敵、世界への破壊者になってしまいます。
そういう責任が、日本にはあるのです。
もはや一国平和主義などと、のんびり言っていれる状況ではなくなってしまったのです。

集団的自衛権は、戦争をするためのものではありません。
戦争を防ぐためのものです。
日本がこれに参加しないとなれば、中共は南シナ海を制圧し、そこの自由な航海を拒否します。

すると日本は、中東からの石油をはじめ、自動車や電子機器、食物などに至る全ての海上運搬が困難になります。
結果として日本経済は、壊滅し、食料自給率の低い日本は、食料の確保もできなくなります。
この場合、日本の人口は、現在の1億2600万人から、ただの2千万人くらいまで減少するといわれています。
1億人がどうなるかって?
はい。餓死です。

今日お話した領土主権と集団的自衛権のお話は、まだまだほんの一部です。
また機会を変えて、詳しくお話してみたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・転載終了



『頑張れ産経新聞』の落合先生も帝国憲法復元派でらっしゃいます。


頑張れ産経新聞 皇紀2677年 平成29年4月20日
***************
戦後日本の自衛拒否事情

 1945年敗戦で日本は敵に占領され、日本は武装解除された。しかしその後国共内戦の再開で極東情勢は急変した。1949年支那満洲は共産化し米国は19世紀以来築いてきた全拠点から蹴り出された。米国内では支那が失われた、と大ショックが起きた。米国は日本を滅ぼせば支那満洲が手に入ると誤解していたのである。取らぬ狸の皮算用であった。

これにより米国は日本占領が意味が無く、逆に国防代行が巨額の浪費になった。また朝鮮戦争の気配がでてきた。

そこで1950年ダレス国務長官が来日、吉田首相に再軍備を要請した。吉田首相は国連軍名目の新日本軍の朝鮮投入の狙いを見ぬいて、詭弁を弄して拒否。

ダレスは、吉田さんの占領憲法擁護、自衛拒否論を聞いて私はまるで不思議の国のアリスになったようだった、と帰国後述べたという。


1953年10月、池田勇人は米国でロバートソン国務次官補と会談。米国の再軍備要請を拒否し以下のように答えた。

兵役対象の青年は、GHQの教育で何が起ころうと二度と銃を執らない様に教育された。
婦人遺族は大切な人をお国に捧げたのに大迫害を受けたので絶対に反対する。
それでも軍隊を作るとGHQが共産党を野放しにしたので、共産武力クーデターを起こす可能性がある。

そして結びに「日本人が自分のことは自分で守るしかないことに気づくには相当の時間が掛かるだろう」と述べたのである。


そして翌月ニクソン副大統領が来日、東京で憲法9条は誤りだったと声明。


日本は再軍備できないまま半世紀以上が経過した。今日本は北の核の危機にさらされている。北は日本の併合を狙っている。

日本人は自存自衛のために目を覚ますしかない。米国は核の身替わり被爆を300%しない。



産経抄/博物館泥棒が起きている。

展示は写しにして大事なものは金庫にしまう。京都大原の聖徳太子木造も焼き討ちされている。今回も佐渡の博物館では金塊の偽ものが盗まれたが本物は安全だった。本物は滅多に出さないことだ。

鎌倉の県民ホールの棟方志功の作品は、本物がカラーコピーにすりかえられていた。さらに責任問題をおそれて3年間も隠していたという。二重の被害だ。

http://blog.goo.ne.jp/sankeiblg413_002/e/ba473ecb66ebfec6761b81b56343ec45




こちらの動画で、1:45:00~ 質疑応答で、憲法破棄は可能か? という質問が出てました。
https://www.youtube.com/watch?v=kTq5CiPJLYg


インターネット上で渡部昇一先生のご文章をご紹介して戴けましたので、こちらにも転載させて戴きます。

渡部昇一先生のお言葉

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「私はなぜ「憲法改正」に反対で、現行憲法の「無効宣言」を唱えるのか」

 周知のとおり、日本国憲法は、日本が第二次大戦に敗北し、アメリカを中心とした連合軍の占領下に制定された。占領下というのは日本に主権がない状況を意味し、大使館さえなかった。

 つまり日本国憲法は日本に「主権」がない、「国家」でない時代に占領軍によって作られた”外国産”だということが。だから「主権の発動たる憲法」でありえず、本質的には「占領政策基本法」というべきである。

 私が「憲法改正」に反対で、「無効宣言」を唱えるのも、一度でも改正を許すと「占領政策基本法」を「憲法」としてお墨付きを与えることになるからである。

つまり「占領政策基本法」に日本人が正当性(legitimacy)を与えることになるのだ。それを防ぐためにもいったん無効宣言し、明治憲法に戻してから――その期間は半日でもよい――改めて憲法改正の手続きをふめばよい。

 ともすれば乱暴に聞こえる「無効宣言」だが、この「占領政策基本法」が「主権」がない占領下という日本史の中でも未曾有な時期に作られた異常な産物であることこそ今いちど顧みるべきで、戦争を知らない若い人たちにも伝わるように話をすれば「無効宣言」が決して暴論でないことがわかるはずだ。

「無効宣言」に対して現実的ではないという意見があるが、その手続きは意外と簡単なのである。

 まず、日本政府は新憲法草案を用意し、一旦日本国憲法の「無効宣言」を行う。
とにかく一度でも日本国憲法の「無効宣言」をすればよい。

そして「無効宣言」をした上で、半日でも一時間でもよいので我が国の憲法を明治憲法に戻し、その日のうちに「明治憲法の改正」という形式で新憲法を制定するのだ。同時に現在の皇室典範も「無効」にすればいい。これだけで済む話である。

 また戦後に出来た諸法律は、新しい憲法によって改正されるまでは有効とすれば社会的に混乱はありません。

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今日の産経新聞の正論欄に長谷川三千子先生のご意見が載っていました。
http://www.sankei.com/politics/news/170420/plt1704200014-n4.html


「おそらくそれは、この欠陥条項が、表面からは見えない、憲法全体のもう一つの欠陥と深く結びついているからだと思われます。

 誰もが知る通り、日本国憲法は日本が戦争に負けて完全に主権を失った時期に、占領者によって作られています。

近代成文憲法では、それが誰の主権のもとで作られたかが重大な意味を持つので、日本国憲法が日本を占領中の連合国軍総司令官の「最高の力」のもとで作られたというのは、それ自体がスキャンダルにほかならない。

いわゆる〈日本国憲法無効論〉が主張される所以(ゆえん)です。

けれども、もしその無効論を貫くと、現行憲法のもとに作られた全ての法律、行政システムが現国会もろとも丸ごと無効になってしまう。

悪夢の大混乱に陥ります。

それが怖いからこそ、誰もが無意識のうちにこの欠陥条項から目を背けてきたのだと思われます。

 しかし70年たった今、われわれは逆上することなく、冷静にこのスキャンダルをスキャンダルとして眺めることができるはずです。そしてその置き土産である欠陥条項を改正しうるはずなのです。(埼玉大学名誉教授・長谷川三千子 はせがわ みちこ)

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2017.04.22 Sat l 憲法 l コメント (0) トラックバック (0) l top
合掌 ありがとうございます

 渡部昇一先生がお亡くなりになられたと知りました。4月17日の1:55分であったという事で、住吉神社のお祭りの日も5月5日で、55はなぜか住吉大神様関係の何かでよく見かける数字なのです。
 4月17日は、神功皇后さまの日です。日本書記の神功皇后様のページに、住吉大神様がご出現になられています。

 例えば、古事記も住吉大神様の導きを受けて書かれたものなのだろうなぁと思った根拠は、日本書記の神功皇后様のページにに登場されている住吉大神様が、自分は海藻のような神であると自己紹介されていますが、古事記の真ん中の方に、海藻を詠んだ見事な歌があり、まるで著者のサインのようになっているからです。どうしてサインになるかと申しますと、歌の上手さが神業のようだからです。人間には発案出来そうにないからです。

 その古事記も、昨日知った所によりますと、約5万5000字なのだそうです。
ねずさんのブログより
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2313.html

「古事記は大和言葉を漢字で書き記したものとして知られていますが、いったい全文で何文字くらいあるのかというと、これが約5万5000字です。」

 その古事記と日本書記を参考に作られた帝国憲法を最後まで指示されていらした渡部昇一先生ですが、
 私は渡部昇一先生の事は帝国憲法について以外は、詳しく存じ上げず、カトリック系の大学の先生で、シルバーバーチを褒めておられたという事だけ知っている位で、今思えば、教会離れを勧めるシルバーバーチの本を良いと仰っておられたのは、凄い事だったのかもと思いました。
 私は小さいころから家族で八十八か所や東大寺や法隆寺など神社仏閣巡りをしてきたせいか?子供の頃から無意識的に宗教的な人間だったらしく、お釈迦様が説かれたのはどんな内容だったとか、キリストが説かれたのはどうだったとか、弘法大師がどう教えられたとか、そういう事を知るのが当たり前と化していたようで、そういった方面にばかり目が行っていましたが、
時が経つに連れて、日本国を護る事より以上の価値は無いんだ、と客観的に分かるようになってきました。

 そして、聖書の預言にあるのは、日本国の事では?と思うようになって来ました。
ですから、キリスト教徒も、本来でしたら日本国を守護する事が、本来の目的に沿う事になるのではないかなと考えて居ます。
渡部昇一先生も、キリスト教系の学校の先生でありながら、日本国守護のためのご生涯をおくられたという事は、それは先生が、よほど立派なお人柄の方でらしたからではないかなと感じます。

 それはなぜかと申しますと、例えば、ジェンダーフリーが正しいと思っている人なら、ジェンダーフリーでない日本はけしからん国に見えるのと同じで、渡部昇一先生の内面と、日本国の本当の姿と、それが一致していたので、先生はそれを守ろうとされたのではないでしょうか?
 シルバーバーチを良いと仰っていたのでしたら、ただ単に自分の祖国だから身びいきで、という理由だけだったとは思えないのですが…。


 聖書の預言のここがこういう理由で日本が大事なのだという事はご説明出来ますので、これをアメリカのようなキリスト教国や、世界中の人に知って戴けたら、日本を大事にしてもらえるかな?と甘く考えた事もありしたが、今のところ、聖書の説明位で分かってくれる人は少数ではないかと思えます。例えば、渡部昇一先生のような公平無私で、自分が不利な立場になっても救わずにおれない生涯かけて…位の内面が立派な方なら、その内面とつりあうような立派なものをすぐ認識出来るけれど、先述のジェンダーフリーのような方だったら? アンテナが反対向いているので難しいような気がしました。

 ですから、日本国というものの大切さは、世界中のほとんどの人の心の中がどうあるか、という、その各自の心の中に復活するもののように思います。


偶然見つけたのですが、このようなページに、有難い台湾の高砂族と、日本兵の事が書かれてありました。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-category-10.html
日本兵も高砂族の事を素晴らしいと書いているけれど、高砂族の方も日本兵の事を素晴らしいと仰って下さっていたそうです。

「今も六十五歳以上の人は戦前の気持ち。日本精神というのは「誠」の精 神。まっすぐで正しい。すべてやることはまっすぐです。心のなかにいつ も残っている。当時の日本軍人は本当にまっすぐだった。日本軍人は忙し い。(生死に)あっさりしている。立派に戦いました。精神訓練受けた者 絶対に悪いことしない。国のため天皇陛下のためにつくす。もし日本が今、 戦争するなら私も立つという気持ち、山より高いです。このこと自分の子 供にもしっかり伝えている。」

 こうした方々の戦われた戦争と聖書の預言との兼ね合いは、どうなっているのかという事をご説明させて戴くには長くなりすぎますので、またいつかにまわさせて戴きますが、私はやはり内面がとても立派な方々でらしたのだと思えてなりません。それで、心の中が、そのように立派なものであったのなら、そこから出来た陰影も、きっと立派なものであったと思えるのです。
 ですから、あの時代は、大変な時代であったとしても、きっと立派な影を映していた時代であったように思えるのです。

 その立派さと、渡部昇一先生の内面とが響きあって、先生はずっと擁護され続けたのではないかと思えるのです。
その渡部昇一先生は、丁度桜の季節にお亡くなりになられたのですね。桜と言えば、靖国だけでなく、「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」という西行法師の歌もあります。
 先日も、吉野の金峯山寺の事を書かせて戴きましたが、同じ吉野に西行庵もあり、かつて明治維新の頃、伊藤博文も訪ねて、帝国憲法の資金を作るために吉野の人に山を売ってもらい、そのお金で帝国憲法が出来たそうです。帝国憲法にいったん戻す事を最後まで訴えておられた先生でらしたからでしょうか。つくづくご立派なご生涯であったと思えてなりません。
 
 またアメリカでは、今日がイースターの日であったそうですね。この日はキリストの復活祭の日で、復活を連想させる月にウサギの目をイメージしてウサギと卵で祝うそうですが、先述させて戴きましたように、人々の心の中に素晴らしいものが復活した時に、元々あった日本の素晴らしい本当の姿が人々の心の中に出現し、復活するように見えるのかも知れません。いつかすべてのキリスト教徒の方々に、日本の事を理解して戴きたいと思っています。
2017.04.19 Wed l 日記 l コメント (0) トラックバック (0) l top
合掌 ありがとうございます

 14日の事でしょうか、奈良吉野の金剛峯寺も被害にあっていたのだと知って、
金剛峯寺には、珍しい仏像がお祀りされていますので、これはもし焼けては、再現する事が出来ないだろうと思い、
吉野は、人通りも少ないので、防犯対策もしにくいと思って、お電話で、「今後は、御開帳は、一旦中止されたほうが良いのではないですか?」 というような内容のお電話をさせて戴こうかなと考えて居た所でした。

 しかし遠方過ぎるお寺を心配するのは、自分っておかしいのかも?と思いなおして、地元の人にまかせようと、お電話をしなかったのです。
 そうしましたら、15日に、再度、油が撒かれていたそうで、やっぱりしておけば良かったと思いました。
 何でも虫の知らせですかね…。

浅草寺も、吉野の金剛峯寺も襲われる 4.15
http://toriton.blog2.fc2.com/blog-entry-4827.html


 昨日、昔住んでいた本州の人にお電話させて戴いたら、通常通りの平和な暮らしをされているそうで、神社の被害の事を言っても、何かされる様子は無く、こちらのほうがおかしいのかなぁと、良く解らなくなってしまいました。

でも、お酒に酔っている人と話しているのと、同じような印象を受けました。
そういう方々のお話しを伺っていますと、つらい気分になって、自分もお酒に酔っていたいような気持になります。

何もしない人は、この先も何もされずに、お酒やスイーツに酔って居たいのかも知れない。
私は、自分がそうなって、日本が痛めつけられているのを眺めながら、笑っているのは嫌だな、と思いました。

親が痛めつけられているのを見て、お酒やスイーツに酔って笑っているというのは、不自然ではないですか?
親が痛めつけられて、もう壮健な姿では無くなったので、嫌いになったと言うのもおかしいでしょう?


 私が言っている内容は、怪しい感じの雑誌に書いてあるような事なので、気にする事無いと言われますが、外国は、巨額の工作費を日本に投入しているらしく、大手メディアなどは、愛国的な情報はメインにとりあつかってくれないだけなのではないかな?と思ったりします。

 ですが自分に出来る事は無さそうで、もう諦めようかなぁと考える事もあります。でもそうすると、ますます日本が危機に向かいそうで、立ち止まって考えてしまいます。

 何もしないでいいという意見を耳にする時、何もしないで拉致被害者は帰って来れるのかな?と考えこみます。
 何もしないで、自分の家だけは幸せだ~と言っている親の背中をその人の子供は見ているんじゃないかなぁと。



記事保存 1

『外国人の純流入13.6万人』  日経新聞より 29年4月15日

「15年10月~16年9月に日本に3ヶ月間を超えて滞在した外国人は約240万人に達し、この5年で50万人増えた。外国人の純流入は4年連続。
(中略)
厚生労働省によると、事業者から届け出があった外国人労働者数は16年10月末時点で108万人で、初めて100万人の大台を突破した。
(中略)
政府では、働き手確保のため、優れた経営手腕や技術を備えた高度外国人材の定着を後押しするための施策に動いている。

永住権を取得できるまでに必要な滞在期間を短縮化。

医療通訳者が常駐し、周辺病院への補助金の枠を広げるなど、生活面もサポートする。

外国人の呼び込みとともに、日本人の減少を食い止めるために労働市場や雇用制度、子育て支援に至る腰を据えた有効な策が欠かせない。(中略)待機児童解消云々…」


記事保存 2

江崎道朗氏よりの情報
https://nikkan-spa.jp/1316250
自衛隊員は、死を覚悟しながら任務に向かっていると書かれてありました。
2017.04.16 Sun l 日記 l コメント (0) トラックバック (0) l top
合掌 ありがとうございます

 核爆弾なり原発が狙われた時の対処法が無い事を数年前に聞きつけて、すぐ拡散させて戴いたのですが、「まさかそんな事」という反応で、当時は、次世代の党が折角、原発を自衛隊に守ってもらおうと言ってくれていたのに、現在は人数も減り、前進どころか後退してしまいました。
 その上、政治や憲法改正の動きが森友で止まっているので、個人で対処する方法を模索するしか無い有様ですので、拙い思考回路を披露するようでお恥ずかしいですが、今考えて居る事を書かせて戴きます。

 気になっているのは、現代では、あまりに甘味類の販売数が多い事です。あれだけ売られているという事は、買って行く人も多いという事なのではないかと心配しています。パンでも甘そうに見えます。

 甘露の法雨を携帯しているだけで助かったり、霊性の自覚が大事だったり、健康は食事の影響がすべてではなく、ストレスの影響が大きいですので、甘いものを悪にしたり、食品より人間の体の方が弱いという感覚に陥る事を避ける為に、食事の事はあまり申し上げたくないのですが、

甘いものに依存して、気分を上昇させる事で、今の日本の防衛上の危機が危機と感じられないのは、感覚がマヒしているのではないかと懸念します。
白砂糖は、カクセイザイの化学式に似ているという話しもあり、知らず知らずに依存してしまうものかも知れません(?)

 甘いものや白砂糖のような極陰性のものは、放射能に弱くなると言われていて、逆に塩やお味噌のような陽性のものが、放射能に強いと言われている事は結構有名です。
 陰性は、拡散力が強いので、膨張性や崩壊の方向性を持ち、陽性は、求心力を持つので、物体をひきしめる働きを持ち、極陰性の放射能を中和してくれるのかも知れません。
 雅春先生が、放射能の影響に勝つのは言葉の力であるように仰っていたり、食品がすべてではないのですが、甘いもので麻痺させるようにして防衛上の危機は無いと思うようにするのは、それは違うのではないかと言う事なのです。


 不食の方が仰るには、「実際は、お腹が減って食べるよりも、感情的な理由から、食べすぎる事が多く、感情上の穴を食べ物で穴埋めしようとしてしまうだけなので、まずは、感情上の問題を解決する事だ」とのことですので、少なからず納得です。

 例えば、ここで上げました甘味類などは、殆ど不必要なものであるのに、高いお金を出して、それも「ほんとは、食べないほうがいいんだけど」と思いつつ買うのでしょう。

 その感情上の飢えである、満たされない思いは、その正体は一体なんだろう?という事です。
人間関係もあるでしょう。色々考えられます。
でも、本来でしたら、愛さないといけない筈の祖国の事を憎んでいては、心にぽっかりと穴が開いても仕方ないように思います。

 それで私は、愛国心で、心の穴を埋められないものだろうか? と先日から日記に書かせて戴いてました。
筋としては通るような気がするのですが…。

 甘味類を過剰に摂取してしまう女性の方々に、自分の心と体を大切にしてほしいのです。

 心の穴を食べ物で埋めようとしても、別のものなので、埋まらないと思います。

 神の国という認識が必要だと感じるのは、帝国憲法に対する拒絶反応が無くなると思うのもあります。
 昭和天皇様は、一時アメリカの要求を受けつつも、徐々に国風に変えていくという方法をとられましたので、神國観を棄てたわけではなく、人間宣言も、本音ではされていないらしいのです。

 そして神々の子孫とはどういう事かと申しますと、前回の日記で神々が生かし守っている国である事を書かせて戴きましたが、顯幽合い携えて、人間は肉体を持った神として、日本列島を護る自覚を持って生きる事なのではないかと思います。
 ここで言う神とは、西洋の神の事ではなく、人として立派な当たり前の生活が出来る事さします。先祖を敬い親孝行な人生の事です。

 幽なる神に守ってもらって、それで終わりなのではなく、自らも神らしくふるまえるようになるのが本来望まれる在り方なのではないかと思います。

 やはり神國という認識や、自らは神々の子孫である自覚を持って生きる事が、日本人らしい生き方と思えてなりません。


 本来の姿を思い出せれば、心の穴も埋まるのではないか…甘味類で埋めようとしないで済むのではないかと思います。そうした結果、核攻撃からも個人で強くなればいいなと思います。



 非常食の備蓄を考える場合、まさかと思われますが、最近は売り場にフルーツグラノーラなどが山積みされて人気らしいですし、保存がきくので、非常食にグラノーラや、山岳遭難をイメージしてチョコレートを用意はされていないだろうかと気になります。
 現代の日本女性の事が気になるので少し書かせて戴きます。

 上記に書かせて戴いた通り、このように砂糖が多量に使われたものは、核攻撃には適さないので、カロリーが高そうでいいと、うっかり口にしないほうが無難だと思えて仕方ありません。

 思い出したのですが、なぜ塩と味噌がいいのか、塩は、DNAを元の形にする働きがあるような事を読んだ事があります。味噌は発酵食品という事でいいというのは有名でした。
 非常食なら、玄米クリームが賞味期限を超えても何年でも持ちますし、重いが携帯も可能なので、あまりカロリーは無いのですが、ストローで飲めますから非常時には有って助かると思います。慣れるまで不味いですが。

 しかし、食事が決め手というよりは、その人の心が、普段から、伝統の方を向いているか、破壊のほうを向いているかにより、日々選びつつあるのが変わってくる気がします。
 一概には言えないでしょうが、和食でだいたい良いと思って暮らしておられる方は、生活や人生観も真面目な場合が多いかも知れません。
 若い女の人が、ダイエットとスイーツと、日に当たらないよう気をつける生活を送っているのを見て、そんな生活を続けていて大丈夫かと思ってしまいます。

 甘いものがカルシウム泥棒になるのは有名ですが、前述のように陰性なだけでなく、どうやら体内の悪い菌の餌にもなりやすいそうなのです。そういった作用がある甘いものの度が過ぎたら、陰が勝って、自分が感染している状態で、子供にも感染しないかどうか? 古事記の中で、陰神であるイザナミが勝った状態では、陰陽二神の一番最初の子供が骨が無いヒルコであったような具合に近くならないかどうか? 現代は、「おいしいスイーツを食べれば幸せですよ」、と、良い事しか宣伝しませんが、甘い言葉についていくのは危険な場合があると思います。
 行き過ぎたダイエットは、「自分はこれではいけない」という心理が働いてやしないか、それならもう食事の問題ではないと思います。

 日本と日本人はとても素晴らしいし、女性が赤ちゃんを産む事は素晴らしく価値がある事なので、私は太い脚でもいいから、健康な赤ちゃんを産んでほしいと思います。
 今では、心優しい人からの寄付金で赤ちゃんを産めるボランティア団体もあるので、自分に酷な事はせずに、自分を大事にしてほしいです。


 甘いものをやめられないのは、なぜかということを前回にも書かせて戴きましたが、不食の人の状態をお聞きしますと、心の中が非常に幸福で満たされているそうなのです。何かしらの欠乏感のようなものも無いそうなのです。
 甘いものは、「やめなさい」と言われても、やめられるものでなく、本当に幸福になったら、そうしたものは必要でなくなってくるのだと思います。
 ですから、どうか日本の女性に幸せになってほしいのです。

 左翼の人が、甘い言葉で、実際には危険なほうへ誘うでしょうが、騙されていても、幸せになれる事はないし、子供の頃から、「日本国を憎むのが正義」と教え込まれているけれど、自分の事を憎んで幸せになれる事なんてないと思います。
 今の自己虐待の憲法では、苦しさを耐え忍んで立派な理想に達するというようなニュアンスが受け取れますが、自己虐待をする人は、無意識のうちに自分をわざわざ苦境へ持って行きます。嫌いな人からもらったプレゼントは大切にしないが如く、両親が嫌いだったら、その両親のプレゼントである自分の肉体も大切にしないでしょう。苦行は悟りの種ならずで、苦しさを耐え忍んで立派になれるのではなく、感謝をしたら、感謝を実行したら幸せになれるのだと思います。

 教育勅語など、古臭い道徳と思わずに、本当に幸福になれるのは、こうした古くから培われた生き方であり、女性が幸せである方法を見つけた方がいいと思います。
 少し打算的な言い方をすれば、日本は女性が幸せになれる国なので、日本を大切にする事で自分の幸せも確保出来るかも知れません。

 国を愛すると、きっと日本の神々とも波長があって、人間の過去現在未来がお見通しの神力で、導いて下さるかも知れません。
 人間には、好き勝手して、自ら不幸になる自由もあるけれど、自らそんな事しなければ、近所の産土神社の神様が出生の管理をして下さる筈なのです。

 私も国を愛するのは、片道なのだと思っていましたが、後で振り返って見ると、知らず知らずの内に護国の神が導いてくれていた事が、今となって分かりました。片道でなく、ちゃんと護国の神様が思いを受け止めて下さっていました。

 まず最初に導かれた土地は、明石――福岡の香椎――のちに大阪――神戸――北海道ですが、どこも住吉大神様とのご縁の濃厚な場所で、住吉大神の名前を知らない内から、住吉大神のご縁の土地にばかり住んでいた事を本当に不思議に思います。

 心の中の思いというものは、人の目には見えないけれど、神様には通じるのだと思いました。

 福岡の香椎宮は、日本書記に、神功皇后様のお祈りに答える形で住吉大神様がご登場されている場面に登場します。

香椎宮
http://www.kashiigu.com/

 そう言えば香椎宮もそうでしたが、福岡に行った時、大濠公園まで歩けばものすごく遠いのに、なぜか行かなくてはいけないような気持になって行ってみたら護国神社があり、その当時は、頭を下げるのも抵抗があったのですが、頭を下げなければいけないような気がして拝んで帰りました。

福岡護国神社
https://www.youtube.com/watch?v=2EX7wC2rR0g

 北海道に引っ越した時も、そのころはもう住吉大神のファンになっていましたので、職場が千歳にあるので、千歳の住吉という地名の土地に住みたいと考えていたのが、どうしてもダメで、千歳とかなり離れた土地になぜか住まないといけなくなり、不便に思っていましたら、後になって大きな忠霊塔と憲法改正の愛国政治家の近所で選挙区という事が分かり、千歳よりかえってよかった事が分かりました。
 予想を超えて色々ピンポイントで導かれるというのは人間技では無理なので、やはり、護国の神霊は、見えない力で導いてくれるのではないかと思います。

 今は、不食の人に誘われますが、そもそも日本が核の危機にさらされるようになったのも、憲法改正が進まないからなのであって、その本来やるべき事をやらないで、他の方法を探すより、まずやるべきことをやろうと思いました。

 教育勅語の方向が日本女性が本当に幸せになれる道なのだと、日本女性が方向性を戻さなければ、スイーツ依存の悩みからは抜けられないのかも知れないと思います。

 本来でしたら、求心性の性質がなければ、国というものは運営していけないものなのではと思います。
それで中央集権の体制が採られたのだと思います。

 それが、今の憲法では、自国どころか、周囲の国に身を預けるという事になっており、君臣の立場も逆で…。

 まるで、逆方向に進化する事が正しいような印象を受けてしまいそうで、女性の生き方も逆方向(求心性より拡散性)に向かって行っているとかはないでしょうか? 食べ物も陰性に傾いて、核ミサイルまで飛んでくるという事では、形態が維持出来ない、古事記の訴える危険性と一致するように思います。


 求心性を大事にして、御国の中心に感謝を忘れないような心にならないといけないのではないのかなと思いました。


 国を建てられた天皇様の御社の柱に傷とは! 何か象徴するものを感じます。
日本は中心を大切にする心を取り戻さないといけないのでは。

女性は普段から一家の大黒柱であるお父様やご主人様を大切にされて下さい。

2017.04.14 Fri l 憲法 l コメント (0) トラックバック (0) l top
合掌 ありがとうございます

 なぜかは分からないけれど、私は誰に教えられなくても幼少時から愛国心を持っていて、日の丸を見ると、なぜか涙が流れていました。

 でも愛国心を持っていない人も居るという事に気が付き、その人たちから色々な非難を浴びるようになって、

「はて、愛国心と言うものは、持たなくても大丈夫なものなのだろうか?」と、愛国心が無くても、国の運営は可能かどうかをシュミレーションしてみたり、その人々が幸せそうに笑うので、見習ってみようと思って、国の事について考えないようにしてみた事がありました。

 愛国心が無い状態で、どうして幸せそうに笑えるのかは、謎のままとなってしまいましたし、色々口撃されても、私は日本が好きなままでいるほうが幸せと思いました。

 彼らにとっては、無くても可なものが、どうして、日本にとっては、必須のものなのか?

 それがなぜなのかを考えました。

すると谷口雅春先生のご本に、「愛は天上のものである、物質界を超える」と書かれてあり、

愛は天上のもので、それは物質界に属さず、物質界の損得を超えると説明されていました。


 それで今までの疑問が氷解して行きました。

 祝詞によりますと、高天原に神が詰まっています。そして古事記によりますと、高天原と地上の構図とは、高天原という光の世界の投影が、地上であり、

地上は、物資的な様相に見えていますけれども、実は、山も川も海も神様の顕れであり、物質のように見えているだけで、高天原が影をうつしたものであるという事になっています。

 という事は、日本国も、物質的にみせかけて実は、太陽の国・光の国である筈なのです。

 そうなりますと、物質界のものでない愛が、日本国にとって必須のものであり、それが無ければ、日本国は瓦解してしまうというのもうなづけます。



 現代では、食物を食べずに、呼吸や太陽光だけで生きている人が居るそうで、その人たちが、どうしてそれが可能になったのか?というインタビューに答えて仰るには、

「自分が、物質的な肉体だけの存在でなく、実は、光の体であるという認識を開いた時、その光の体は、この源に繋がりやすくなり、魂や精神は、肉体よりも、もっと大きく力強いと理解します。
 この光で、魂に栄養を与えたら、肉体はただそれを受け入れ、養えるようになります」
と説明されていまして、その状態にとても似ているように思いました。


 人は、知らず知らずのうちに、太陽から栄養を受け、太陽に生かされているのでしょうね。
 野菜でも、太陽のお陰で育つという事は、間接的に太陽に生かされているという事なのでしょうね。


 だから、物質界を超えた愛国心が、日本国や、自分を養うというのは、本当の事だと感じます。

それこそが、本当の栄養で、日本国の為になる力なのだと思います。

 太陽・天照大御神様の光に感謝ですし、大嘗祭で、天照大御神様とご一体となられておられる天皇陛下にも感謝です。

 そして我らは、太陽神の子で、日子(ヒコ)・日女(ヒメ)であり、神々の子孫であるというのもうなづけます。

 天孫降臨の際に、ニニギノミコト様に御伴して、大軍勢で高天原から天降って来た子孫が、多く居る事になっていますが、このように見て行きますと、本当にそのような感じです。
 天からの光で生かされている私達なのですから。


 このように、神國観は、現代に於いてもとても大切に保持し続けておいたほうが良いものであるように思えてなりません。

 神話は神話、現代は現代と、切り離せない程の行き届いた内容の神話に、日本人は恵まれているのだと思います。




以下の解説では、久遠の生命を把握した日本人について語られていました。

Youytube 馬渕睦夫|『トランプ大統領と日本の「古事記」についてを語る。日本人は神様を知っていたので言語化する必要がなかった。』
https://www.youtube.com/watch?v=O5RCwpNmFvM

2017.04.07 Fri l 日記 l コメント (0) トラックバック (0) l top