合掌 ありがとうございます

 6月17日の谷口雅春先生の三十三年祭の日にポストをみると、住吉大社から送って来られる機関紙『住吉っさん』30号が入っていました。
 その表紙は、黒地に白い点々がついていて、「もしかして星空かな、オリオン座の写真じゃないだろうか?」と思いながら開けてみると、やっぱりオリオンの三ツ星が海からまさに昇って行こうとする姿でした。

 毎回何かと歴史的な事が書かれているのですが、今回は八十島祭の事でした。あまり知られてないだけで、八十島祭というのは現実に存在したのですね。国家にとって大事な行事がとりおこなわれていたのですね。

 そして住吉大神様が、老人の姿になって、国家の危機に登場して、救って下さってこられたという神話に近い歴史が書かれてありました。

 それから、小惑星に住吉(Sumiyosi)という名前がつけられたという事が報告されていました。住吉大社の宮司さんの息子さんにあたる方が発見されたそうです。1977年2月18日に発見されて、住吉大社にちなんで命名されたそうです。登録番号18290
 これは谷口雅春先生のご生前の出来事であったのではないでしょうか? その時代に住吉さんの星が発見されたなんて。
 平成29年10月5日に認定されたそうです。



 住吉大社には、日本最古の灯台もあります。以前その近所に住んでいて、毎日その横を通って住吉大社にお参りさせて戴いてました。
 やっぱり灯台の神様なのですね。日本最古の図書館もあります。

13頁から勝俣隆氏と仰る方が住吉大社とオリオン座の関係について寄稿されていました。
その中の少しだけ抜粋させて戴きますと、
「オリオン座の三ツ星は、東の海から水平面に垂直に等間隔で昇って来る性質を持ち、その三ツ星が海中にある状態を想像すれば、まさに底筒・中筒・上筒というに相応しい位置関係にあること。その場合、「筒」は、古代日本語で星を意味した「筒(星)」と推測されること。(中略)住吉大社の本殿をみると、底筒・中筒・上筒之男のご祭神が、それぞれの本殿に祀られ、その並び方は、すべて西向きに東西方向へ一直線に並んでおり、まさに、オリオン座三ツ星の並び方を反映していると推測されること。つまり、住吉大社は、東西に細長い瀬戸内海の一番東の果てに位置し、海から見てまさしく三ツ星が昇ってくる位置に祀られ、東西方向へ航海する船の出入りに相応しい場所に住吉三神が鎮座していること。」


 私は、明石だの香椎宮だの大阪の住吉だの神戸の住吉だのと、住吉さんのゆかりのあるところにご縁のある人生であったのは、やっぱり感謝せねばならないなぁと思いました。藤棚の家に通わせて戴けたというのも、なにがしかのご縁でもあったのか無かったのかはわかりませんが、藤棚の家の古い先生が、教えて下さったお陰で、生長の家の御教えが、随分わかるようになりました。それでも自習は必要でしたけれども、教えてもらえなかったら、わかってなかった可能性がとても高いです。他の方は、生長の家の御教えの大事な部分は、ちゃんと教えて戴けているのでしょうか? ほかの方々の事は、もう連絡不可能で、知る由もないのですが、私も、あちこち出かけててもわからなかったので、ほかの方は、私がほうぼう見聞している間に、親御さんなどから教えて戴いているのでしょうか? 
20年前からやめるやめないで大変だったとか、そんな不平なんて云々しているよりも、恵みの方を見つめておればよかったです。

 藤棚の家の先生が教えて下さった中の一つに、生長の家の教えとは、教育勅語だという事もございました。日本は素晴らしい素晴らしい国である親子兄弟の秩序をきちっきちっと整えるだけで、問題なんてすべて解決してしまう。それほど素晴らしい国である、とのことでした。児童教育の神示は、日付が不明だけれども、教育勅語からとられたともお聞きしました。

 これから外国人が増えますが、教育勅語の精神が永遠であってほしいです。生長の家の御教えとは、教育勅語であるという事でしたら、憲法も帝国憲法でないと、釣り合わないような気がするのですが。

 最近は精神的におかしな人や事件が増えて、谷口雅春先生は、霊感ある人として、この憲法は病気などで内部から腐るようになるのでダメだと仰ったというのは、宗教家として正しい意見であったと思います。普通の人は、霊感がなく、普通に考えると、武器が無いのはいくらなんでも無理だからという事で9条改正という風に話が行くのだと思うのですが、
かつて、CMの歌で、とても不吉な内容の歌が外国語で歌われていたのを普通の人は、単なる歌としか思わなかったのを、霊感がある人は、その歌が流れると気分が悪くなるという事がありました。外国語を翻訳すると、「死~ね、死~ね、みんな死~ね」という内容だったそうです。
ですから、谷口雅春先生は、正しい指示を出しておられたと思います。

 私はやはり憲法改正をするにしても、万教帰一の真理を主張する宗教が、どこか一つでもあったほうが良いように思ってしまいます。
 宗教が違うと、全く別の事を信じているものですので、万教帰一は、ものすごく大事にせねばならない真理だと思います。
スポンサーサイト
2018.06.18 Mon l 住吉様の面影 l コメント (0) トラックバック (0) l top
合掌 ありがとうございます

私の周囲の先生方は、終活なりで先生業をやめてしまわれたので、連絡もとれず、たった一人で、ああでもないこうでもないとやっています。
Youtubeの谷口雅春先生の御講話では、實相を見つめて居たら(月を見つめて居たら)、すべきことがわかるので政治に進出するという事が話されていて、それなら、政治に進出するには、まずは實相を見つめる事が必要だという事になるのではと思いました。

伊邪那美大神様は、まだ黄泉の国に幽閉されている事になっていたり、かくかくしかじかの道を通られてきたという事で、思い出しては気の毒になりますが、伊邪那美大神のお陰で国も生まれ、實相においては、一度も失敗した事がないはずである、陰陽の法則は、堅固な法則なので一度だった壊れた事がないのだという實相を観て感謝するようにしています。

それと同じように、日本は、實相においては、一度だって戦争したこともなく、敗戦したこともない、汚れた事も無い。それが本当の日本なんだ。経歴的にけがれがないのではなく、けがれようがない法則的なものが日本なんだと、そう強く思うように心がけています。

そうでないと、現象のニュースは、驚愕震撼するような内容で、それこそとても日本の事件とは思われないからです。
今日は、認知症の老人が行方不明になっているのが増えているというニュースがあり、幸せとは何かを考えてしまいました。
戦時中の若者は、短命だったけれども、MAG2NEWSでは、このようなものがありました。

『日本の領空は未だ特攻隊で散った英霊に守られているという真実』
http://www.mag2.com/p/news/361236

短命であったはずの若者のほうが、永遠に生きて、日本を護って下さっているという事実、やっぱり谷口雅春先生の教えは本当だったと思いました。

世間では、個人主義者がまるで勝利者のようにふるまっていますが、その個人主義者が生きて居られるのも、自己犠牲の精神で毎日厳しい訓練をされている方々のお陰だという事実。

理想論ではなく、現実にそんな日々が続いているのですね。



自己犠牲の精神は、間違っていて、間違った現象を引き寄せるので、してはいけないけれども、実際は、自己犠牲の精神でももたないと、国がたもてないという厳しい現実。

それは自己犠牲ではなく、實相の法楽であってほしいとまで思ってしまいます。法華経にあるように、大菩薩ほどの人にとっては、なんでもないことであると、そうであればまだ気が楽なのですが、何もお役にたてない自分が申し訳ないです。

 英霊様は本当に凄い、現実に久遠の生命を生きておられる。

『アミ小さな宇宙人』という本に、愛の心強き者が生き残るというような内容があったような…十年以上前の記憶で、うろおぼえですが。

生長の家の教えでも、恐竜がなぜ滅びたか、進化の方向が、愛である神の御心にそってなかったから。というような事が教えられていたような気がします。

最近の事件を見ても、個人主義の人が有利なのかと思いきや、愛ふかき人のほうが、子孫を残せているという事に気が付き、生命は愛の性質を持ち、愛の方向に進化しなければ滅びると、そういうことなんじゃないかなぁと思いました。

英霊様も、短い期間で滅びたように見えていても、その国を愛する愛の気持ちが国を生かして、そのぶん国が生きられている。

損したように、犠牲になったように、一見はみえていても、久遠の生命というすべてを得ているような気がしました。


 今度は、愛の方向に進化するように人々が思えば、よい成果を得られるように思います。

 育児放棄したりして、自分が有利に生きているように一時は、見えていても、冷酷な行動は、後で後悔するのではないか。
まずくても下手くそでも、愛の行動をとっているほうが…。大変すぎますが。

聖典には、そんな時は、「全き愛はおそれをのぞく」ので、怖さを理由に、行動しないのはいけないというような事が書かれています。
しかし怖いですよね。 


近況:
 實相を観るという事の強力な力に気が付いたので、過去も現在も現象なので、實相を観る訓練をしています。どうすればいいかわからない位、過去や現象をみつめてしまったので、實相をどうやってみていたのかもわからなくなってしまっていたのですが、「實相を観よう!」と強く思ったら、思ったら思った通りになるというように、心の眼が、次元の高い所をみようと調節しているのが分かりました。 今後も訓練を続けます。


 感謝はだいぶ出来るようになってきました。昨日は、一人で浄心行をさせて戴きますと、なんだかはれがひいたような気がします。心はポンプのような動力があるのに、ぐっとこらえたり辛抱していると、体内に圧縮するよりほかないのでしょう。言いたいけど、言う訳にいかないのが人生ですから、圧縮して病気になって放出するよりもいいですね。お聖経があって、有難いです。感謝しないといけませんね。世の人は、こうしたことをご存じないので、お知らせしたいながら、信じて貰えないので残念です。



2018.06.14 Thu l 日記 l コメント (0) トラックバック (0) l top
合掌 ありがとうございます

 前回の続きになりますが、「自己に宿るキリストを通してのみ神を見る事ができる」・・・とは、光源から光が射し込んで、その光の部分、愛の部分だけが自己なので、それでしたら、神の大愛で、自己の至らなさも許せるようになると、そうすれば、『大調和の神示』の天地一切への和解や感謝も出来るようになると、そのように思っていましたら、

 その項の前項40頁に、「神はわが内に内在し給う」とあり、そこに書かれてある記述が、そのまま丁度あてはまるように思いました。
最近は、肉体というものは、念のフィルムの回転か、蚕の吐き出す糸に過ぎないという事が如実に感じられるようになっているので、天地一切のものに心で和解し感謝すれば、鳴門の渦巻きか、昔の洗濯機の中身のようなグルグルとした回転が円相になるように思えて、
本当に内部に神が顕れているような気分になってきましたので、40頁の内容は、本当にそうだと思いました。

 こんなかなり重大な真理が、さらっと書かれてあるものなのですね。谷口雅春先生は本当に凄い先生だと感嘆してしまいました。

 そうして以前書かせて戴いた通り、「素晴らしいな」と思うようにしました。實相は素晴らしいものなので、「素晴らしいな」と感動する感情が正しいと思われるのです。
何でも癒す力というのは、実際は、感情にあるという事が書かれてありますが、實相を観たとしたら、そこに湧きおこる感情は、「素晴らしいな」という感情なのではないかと、それでしたら、「素晴らしいな」と思っている時は、實相を垣間見ている状態に近いという事になるのではと思いました。

 これは、古代に柿本人麻呂が、使った手法と似ているような気がします。国を言葉で褒めたたえるという和歌を残されましたが、そんなことして、まるで我褒めのようでおかしいと現代人は思うだけかもしれないですけれども、本当は効果的だったのではないかと思いました。

 ヤフーのニュースで、少子化や、移民の問題で、沢山の人がコメントされていて、一個の県が、毎年消滅していっている計算になり、そこへ本格的な外国人労働者を入れていくという流れになっているようですが、いくら反対しても、政治上ではどうにもならないような気がします。愛国者が反対したり、反対しなかったり色々しても、今までの経験からすると無力な気がします。
 もちろん政治の世界でご活躍下さって尖閣などを守って下さっている方々には感謝しきりです。無力というのは自分の事です。

 結局、聖徳太子の予言が当たってしまったという事になるのでしょう。
 クハンダが来て七つに分かれるという事は、少子化&移民では、今まで外国人で左翼の人が提案されていた道州制のほうが資金面で有利だという事になり、道州制で都道府県が今までの数より減らされるという方向へ、現実的に行きやすくなって来ているのにとても似ています。道州制で済めばまだましなほうなのだと思います。


 でも、実際は、日本は神の国で、現実の人間も、霊的な法則が一番強く働くと思うので、霊的な法則つまり真理に沿った人生観を持つ事が、一番良いと思いました。
 やっぱり真理を弘めるという事が、一番良いような気がします。

 ヤフコメ欄ですすめてみたら、一般の人は物質的な世界観の方が多いのか、目には見えない法則の事は信じて貰えないけれど、一般の人の考え方に引きずられることなく、真理の方を信じているほうが良いと思います。

 もう谷口雅春先生がお亡くなりになってから久しいので、谷口雅春先生が教えて下さった細かな点まで実行不可能だという事になりそうでも、細かな点まで信じているほうが、気が狂わなくてよいような気がしています。

 現代では、テレビなどがヤンヤと健康情報などでも、何でも物質的世界観をはやしたてて、「そうかなぁ」と思ってしまうと、それが落とし穴のようになり、物質の世界のとりこになってしまって、間違った踊りをただ踊っているだけのような、そんな経験をしてきたので、谷口雅春先生のご文章の微細な点でも、「こんな高尚な理想は、自分とかけはなれていて、とても自分の事とは思えない」とは思わないで、どんな高い理想でも、自分の事であると信じているほうが、そのほうが気が狂わなくてよいように思いました。


 世間の人が、いくら賢くても、自分は、ただ谷口雅春先生の御文章を信じるという生き方を選ぶと思います。本当に正しかったから…。
 生長の家の真理は、宇宙の真理なので、聖典内に書かれてある事にそって解決をはからないと、うまくいかないような気がします。

 それでしたら、今の混乱の解決も、世間の基準に求めるのではなく、聖典内に求めるしか無いような気がするのですが、どうでしょうか。

 Youtubeの『健康の原理とその実証1』には、「(混乱を見ずに)悩みを見ずに、月だけ観るんです」というような事が話されていました。

 自分の内部にある生命の實相の願いに素直であるほうが良いような気がしています。
人間は、願いはとても叶えられそうにないので、代替えの願いを案出して、そちらを実現することにしようと、誰でも思いますが、
自己内部の生命の實相の願いは、實相から来る願いなので、それが実現するまでは、別の事を実現しても、悩みがつきまとうのではないかと。


 私は、今までは、無理をして何か達成しよう、疲れている心も無視したり、がんばらなければ・・・と思って来ましたが、今は、ただ心を正しくするという事でいいと思うようになりました。そうすると円相の心でいられるので、間違った事をしないで済むのではと思いました。 今までは、仲良くするために、相手に合わせるために、なんとか相手に沿って・・・と無理に笑顔を作って来ましたが、無理な笑顔は誤解を産むような気がしました。

 私なんて、国民投票まで生きて居られるかどうかも分からないので、国民投票でご迷惑をお掛けするという事もないような気がします。


 どんな悪人だと思っている人でも、こちらの心が変われば、一瞬で一変してしまうという現実を見たり、現象無しは、本当だと思います。
国の事となりますと、集合意識という事になるのでしょうから、一人でも多くの方に真理をお伝えさせて戴く事が、自分に出来る事だと思っています。





2018.06.06 Wed l 日記 l コメント (0) トラックバック (0) l top
合掌 ありがとうございます

 北海道では、今が藤の花が満開であるという事は、5月5日の本住吉神社のお祭りの日の頃に、藤棚の家の藤が咲く頃なので、だいたい一か月遅れて咲くという事になるのでしょうか。
 黄色にオレンジに見た事も無いピンクの色調のつつじもあちこちで見かけます。白いつつじは、半透明で、まるで雪が残っているかのように見えます。
 本州よりも可憐な感じの芝桜が、繊細な色合いで咲き乱れています。

 近所のお寺は、毎日四五人の方が、花だらけのお庭のお手入れをされていて、私はただ何もせずにその中を歩くだけなので、本住吉神社で清掃奉仕させて戴いていた頃の事が、まるで非現実の世界のように思えます。
 清掃奉仕させて戴いていた頃が、一番幸せといえば幸せだったのに、どうしてこんな事になってしまったのかなぁと度々考えますが、神様の目からみたら、掃除なんて、さほど重要な事ではなく、もっと別の事をすることが、私の魂にとっては、良い事だったからとかかもと思いました。

 歯ブラシまで買ってきて、木の板の間のほこりを掃除したり、潔癖症に磨きをかけていても、マイナスになっていたのかもと思いました。
 しかしこちらへきての古事記の復活でも厳しすぎて挫折してしまい、何をしていることやら、今は外界とほぼ隔絶したなかで、谷口雅春先生の真理のお勉強をさせて戴いてます。
引っ越しが多いので、まるで転生をしなおしているような人生内容になるので、それだけ別の角度から魂を磨けるという事にもなって、それが神様のお恵みなのかなと思ったりします。

 それで20年前にやめたやめないで叱られるのも、結局どちらの陣営の言い分が正しいのかまだわかりません、あの時やめてたらやめてなかったらこんな事には…と逆算していくと、住吉大社や本住吉神社へ、毎日お参りさせて戴いたという事も、教団の古い先生に古事記を習えたという事も、藤棚の家で、古い先生に教えて戴けたという事も無かった、もちろん北海道に来る事も無かった、あれも無かったこれも無かったという事になり、無い無い尽くしで、そのほうがいいのかなとまた分からなくなってきて、善悪の基準がよくわからなくなってきてしまいます。

 毎朝神棚にお供えものしたり、法華経や古事記を写経しては、きっちりきっちりするので、すべきことをしたという事で、しかし自分は、到らない自分である、もうヘトヘトだけれど、まだしなきゃならない事沢山ある、あとひとがんばり、きっちりやりとげるという性質を生かして、谷口雅春先生の真理の細かな所まで徹底して信じて行こうと思いました。

 昨夜は、『栄える生活365章』を拝読させて戴いてましたら、141頁「あなたは絶対価値の存在である」と書かれてあり、今は、どこの団体へも行く事が不可能で、居場所が無い自分でも、生きてていいという風に神様は考えて下さっているのかなぁ、それだったら助かるなぁと思いました。


また41頁の「”無我の愛”を起すところに神があらわれる」という項には、自己に宿るキリストを通してのみ神を見ることができる、”自己に宿るキリスト”を自覚してのみ、神を知る事が出来る、「愛するところに吾はいるなり」とキリストは言っている、”愛”の心を起こしたとき、そこに神があらわれている・・・等々と書かれてあって、自分の中の無我の愛や自分の中の神の愛こそが自分であると、それがお聖経の説くところなので、そしたら、どこの宗教でも、祀っているのは、私の中の神の愛なのかも知れないと思いました。
 神の愛が自分だとわかると、すっかり感謝が出来るようになって来ました。

 神の愛が自分だという事でしたら、20年前のやめるやめないの善悪がわからない自分の事も許せるような気がしました。人間にはわからないものなのかも知れません。人間には、物質生活があり、誰かとは結婚しないといけないし、その時期はあるし、亡くなる時期もあるし、人間はそのまま無制限という訳に行かないので、限られた時間の中で、精一杯するほか仕方がないというのも仕方がないのでしょう。

神の愛が自分という事でしたら、失敗した自分も許せるのでしょう。真理が理解できにくい自分も許せるのでしょう。

到らない自分だと思ってきましたが、そういう観点は不満と変わらないので、どう思えば良いのかと悩んでいましたが、お聖経の内容を優先する事にしました。お聖経の訴えを素直に聞き入れるように最近はしています。

病気無し、肉体無しもかなり体感出来てきました。
すべての人が、病気無しと悟って、病気が消えたら、どんなにいいでしょう。保険や医療費やらが、大幅にいらなくなるとしたら…


 日本のためにと思って、古事記をしても、かなり辛抱強い私でも挫折しましたが、日経新聞に、移民50万人を予定とか書かれていました。日本語が苦手でも資格がとれるようになるそうです。また、新聞屋さんが間違えて、左傾で有名な新聞を投函して下さった日があって、それを見たら、びっくり仰天してしまいました。北海道では、メジャーな新聞で、各家がこのようなびっくりの内容の新聞をとっているなんて、先の選挙で、自民党が落選するわけだと分かりました。

 そんな状況なのに、古事記を挫折して、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、神様に申し訳なくて辛いのです。
神様の為なら、たとえ火の中水の中という姿勢でいても、まさかこんな事になるなんて

しかし想念が神と書かれてあって、そんな風な心では、さらにそんな事態を生むので、さらに真理を学び、なんとか良い道を見つけようと思います。


2018.05.31 Thu l 日記 l コメント (0) トラックバック (0) l top
合掌 ありがとうございます


 谷口雅春先生は、手段を誤ると地獄の門を開くというような事をお書きになっておられますので、

また自分で実験してみて、真理を外れて生きると、うまくいかないばかりなので、

本当に谷口雅春先生のいいつけに背いても、よいものなのか?もう自分は、真理から外れた行為は、続けてられないと思い、

ときみつる會にお問い合わせさせて戴きました。宮澤先生が直接ご説明して下さいました。

 そう致しましたら、やはり真理のほかに救う力は無いという事に行きつきました。

宮澤先生は、本当に谷口雅春先生の御教えをそのまま信じきっておられますので、思考回路まで真理の思考回路になっておられますので、

真理はこうだが、現象はこうだと、わりきったものの考え方をされず、どこまでも真理で思考されます。

私も、そうですよね、真理では、全くその通りですと納得出来て、とても心が落ち着けました。

 生長の家の真理のヒビキが無ければ、本当に人を救えるのだろうか?例えば、病気無しという事が分かって病気が消えるというのは、本当の事で、それが真理のヒビキの展開の現象でありながら、それに対して、病気ありとして、闘病が続く、というのは、どうなのかなぁ?

 そんな方法しか無いのだという道案内があるとしても、それは真理のヒビキではないので、にごったヒビキに現象はそれだけでも歪んでしまうのではないかと。

物質界の物質的手続きが重要だという事でそこがクローズアップされるのですが、今回の退位に関する法律でも、どんなに内容が不備でも、大衆が、正しい法を知らないまま、やんやと支持すれば、間違っていても、おかしな名前でも、新しい法が作られてしまう。

 正しいとは、なんぞや…。

 谷口雅春先生は、今の憲法では、病気で内部から腐るというような事をお書きになっておられますが、実際ニュースでは、そうなってきていて、
この憲法がかもしだす精神的雰囲気に、純粋な子供ほどやられて病気になるという事に加えて、


帝国憲法派は、けしからん、改憲の足をひっぱって、けしからん存在だという事になっているのを見ても分かる通り、今後は、愛国者ほど、異常者という事にされるという事になるのではと。

 また、真理を勉強したり、真理を実行する人ほど、狂人あつかいで、病院へ行くようにされるようになるのではないかと、

それは日本の国にとっては、マイナスの方向へ向かう事になるのではないかと、そんな風に心配になってしまっていましたが、

真理というものは、現前としてあり、それを軸にものごとをなりたたせるべきなのだ、という宮澤先生のご姿勢に、久しぶりに安堵感を得る事が出来ました。

 改憲派の人は、真理には従うな、我らの言い分に従え、または、現象に従えという主張をされますが、どんなに相手にあわせても、無理して合わせても、満足して下さる事はないのだと、またそうしていたら、もう自分の心身も無事でないと分かり、改憲派には、どうやっても付いていけない事が分かりました。


  帝国憲法になる確率はとても少ないので、現象がいかにあろうが、せめて健康位は保てないといけないと、神人の自覚で・・・と思っていましたが、こうした愛国者ほど異常者あつかいが、今後ずっと続くという構造を考えると、こんな構造を国内で作る事になるのは、いけないことなのではないかと思ってしまいました。



 正しくなくてもいいんだ、どの考えも正しいんだという事ですと、天皇はいらないという考えの人も正しいと言う事になりますが、真理をあきらかにして、真理を軸に組み立てるようにすれば、一番上手く行くのだと思います。

 真理とはなんぞや。多くの人や宗教は、帝国憲法をけしからんとしているけれど、帝国憲法の方が、真理にそっていたら?


 本当に実在するものは、真理や神国の實相であるとしたら?もちろんそうですが、「そうでない」という人に合わせて居たら、気が狂ってしまいそうです。

 最近は、グローバリズム他が正しいという事が言われていて、国境というものも、守る手段が見つけられないような気分になったり、
その他の宗教では、愛国の教えでも、将来は国境が無くなるとか、灯台の教えは無くなるとか教えられていて、


生長の家は灯台で有名な?教えですから、また、今大混乱中ですから、まるでその他の教えの主張が正しかったかのような光景が広がっていますが、
私は、本当に生長の家は凄い教えであるはずだと思っているのです。それは、今までこのブログに書かせて戴いた通りです。

灯台の教えは必要無くなるというのは、けっこう他の宗教でも聞きます。もうすぐ昼の時代がくるから、暗闇を照らすための灯台の教えは、もういらなくなるのだ、と。

 でも私は、谷口雅春先生の生長の家の御教えを信じます。日本国の實相を出現さす教えだと信じます。神示にあるとおり、黙示録に預言されていたものだと。

 その神示の中の、「汝の信じる通りに汝にまでなれ」というキリストの言葉は、本当の事だと思います。

お聖経で、毎朝読んでいて、単に習慣になってしまって、そんな言葉もあったなぁと思っているだけでは勿体ないと思います。

ここぞ本当に生長の家の真理だと思います。

 神示の小さな言葉でも、そのようにものすごい真理がさらっと書かれていて、もっと大事に心の中に響かせていく事が必要だと感じています。

 私は、帝国憲法派はいらないと言われるので、私はいらない人間だと思って、本当にそうなってしまったので、もうそんな風に心で思わないようにしようと思いはじめました。

 真理を無視して、真理をおさえつけるようにして、周りの人と、同調して行こうとしても、真理を離れて生きる術無し、

今日は時間がありませんので、走り書きのような文章ですみません。
2018.05.25 Fri l 憲法 l コメント (0) トラックバック (0) l top